【悼む】カンヌの“せいじゅん”派に笑顔

[ 2017年2月23日 07:47 ]

鈴木清順監督(1978年撮影)
Photo By スポニチ

 東京タワーの下に建てられたテント小屋で上映された「ツィゴイネルワイゼン」が話題になり、筆者が籍を置いていた大学の映画サークルも鈴木清順監督を招いた。それが最初の出会いだった。

 翌81年の「陽炎座」に続き、10年の時を経て「夢二」で大正浪漫3部作が完成したが、その時には既にスポニチの映画記者になっていた。「夢二」は南仏カンヌ国際映画祭に招待され、現地に飛んで取材した。竹久夢二の世界を“女体”で表現しようと、ボディーペインティングを施した女性が一役買ったが、それを清順監督はニコニコしながら照れくさそうに見ていた。“せいじゅん”派と書いた記憶がある。

 2011年にこの3作がデジタル処理されたニュープリントで上映が決まった時、清順さんは「(ツィゴイネルワイゼンの)原田芳雄さんは唇が印象的だったし、(陽炎座の)松田優作さんには激しい動きを封じ込めたあとの男を期待した。(夢二の)沢田研二さんにはいわゆるいい男ぶりを見せてもらった。彼らの艶っぽい姿が映像で見られるとは、長生きしているといいこともあるもんです」と笑顔で語った。

 その芳雄さん、優作さん、そして3部作を製作した荒戸源次郎さんもあの世に先に渡った。今頃はにぎやかに清順監督を迎えているに違いない。93歳の大往生。美学を貫いた見事な一生だった。 (佐藤 雅昭)

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2017年2月23日のニュース