改めて思う消防団員の尊さ〜阪神大震災22年、そして糸魚川の大火

[ 2017年1月11日 10:00 ]

2016年12月、大火から一夜明けた糸魚川市中心部の現場周辺で作業する消防関係者
Photo By 共同

 【小池聡の今日も手探り】「寝ている場合じゃないでしょ!テレビを見てみなよ!」。早朝に鳴り響いた枕元の電話。声の主は政府関係者。テレビを付けると、すさまじい映像が目に飛び込んできた。1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災。6434人もの命が奪われた。被災地入りしたあの日から今年で22年となる。

 まぶたを閉じれば浮かんでくる多くの人たち。当時40代だった消防団幹部の男性もその一人だ。甚大な被害を受けた神戸市長田区の家屋倒壊現場で懸命な救出活動を続けていた。別の場所で埋もれたままだった母親は地震発生から約30時間ぶりに自衛隊員に発見されたが、既に息は絶えていた。兄、長男の妻も犠牲になっていた。男性の妻によると、「よそさまの方が先だ」と言って自分の家族の救出活動には一切立ち会わなかった。男性がこの時点までに救出した人は約20人。どれほど自分の思いを押しつぶしていたのだろうか。

 防災活動の一翼を担う消防団の団員数減少傾向が止まらない。昨年12月20日、都内で開催された消防団に対する総務大臣感謝状贈呈式。2011年3月11日の東日本大震災発生などを受けて「消防団等充実強化法」が2013年12月に成立、同年度より行われている。2016年度の授賞対象は昨年4月の熊本地震で活躍した消防団のほか、全国に約2200あるうち、顕著な団員数増加が認められた22の消防団で、栄えある式典に参列した。

 法制定の背景の1つとしても挙げられる団員数の減少傾向。1955年に194万4233人と初めて200万人を割り込み、昨年は85万6417人。年齢構成比率で見ると20代の減少が目立ち、1965年の42・7%から昨年は14・1%。この間の全体の減少数と20代の減少数は約47万と約45万で、ほぼ重なる計算だ。

 これらの一因としては少子高齢化がよく指摘されるが、そればかりではない。消防庁国民保護・防災部地域防災室によると、特に地方では、定年や高齢などによる退団者数を補おうにも若い世代は都市部に流出するなどしており、確保できないという実情を抱えている。また、地方自治体の担当者からは、地域活動そのものに対する関心が薄れてきているとの声も寄せられているという。

 1950年代半ばに比べれば、各地方自治体における消防署など常備消防機関の設置・整備は大幅に進み、消防職員数も約5倍に増加している。とはいえ、現在でも消防団に支えられている現状は数字を見れば一目瞭然だ。2015年の統計では、火災現場への消防職員の出動は4万2950回で延べ78万5009人、消防団員は3万3106回で延べ76万7427人と匹敵。風水害等の災害現場への出動は、消防職員が1万1277回で延べ5万3471人、消防団員は4595回ながら実に延べ13万4277人にも上る。

 消防庁地域防災室では、災害規模が大きいほど消防団の重要性は増すとし、また、地方においては距離的な問題から常備消防機関が現場に到着するまでに時間を要することがあり、初動対応の点でも欠かせない存在と言える。

 ちなみに、消防団員は非常勤特別職の地方公務員で、市区町村から支給される報酬はおおむね年額で数万円程度、災害活動または訓練に出動した際の手当ては1回あたり数千円程度だ。

 年の瀬も押し迫った昨年12月22日に大火に見舞われた新潟県糸魚川市。消防団の体制は糸魚川、能生、青海の各方面隊に計19の分団があり、団員数は計1040人(昨年4月1日現在)。消火活動などで22日に756人、鎮火した23日には720人が出動した。市消防本部からはそれぞれ74人と75人。全負傷者16人のうち14人が団員だった。飛び火による延焼が拡大し焼損棟数は144。危機が自分の家にも迫る中、別のエリアの消火活動に向かった人もいたという。

 「自助・共助・公助の連携」。防災力を語る際によく言われるフレーズで、消防団は共助の柱だ。一方、「消防団等充実強化法」の正式名称は「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律」。団員数が年々減る中で中核と位置付けられた地域を守る尊い活動。それは時に「私」の犠牲の上に成り立つことを改めて肝に銘じたい。(編集委員)

 ◆小池 聡(こいけ・さとる)1965年、東京都生まれ。89年、スポニチ入社。文化社会部所属。趣味は釣り。10数年前にデスク業務に就いた際、日帰り釣行が厳しくなった渓流でのフライフィッシングから海のルアー釣りに転向。基本は自由気ままに岸からターゲットを狙う「陸(おか)っぱり」。

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