「真田丸」三谷脚本はどう作られた?行間が深いワケ…“参謀”が明かす秘密

[ 2016年12月17日 08:00 ]

真田丸特別連載(6)「創造」最終回まであと1日

NHK大河ドラマ「真田丸」の脚本を手がける三谷幸喜氏
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 ヒットメーカー・三谷幸喜氏(55)が12年ぶりにNHK大河ドラマの脚本を手掛けた「真田丸」(日曜後8・00)は18日、最終回を迎える。戦国時代最後の名将・真田幸村(堺雅人)の生涯を描く中、登場人物ぞれぞれの個性を際立たせ、数々の笑いや“仕掛け”を交える鮮やかな手腕がお茶の間を魅了した。三谷脚本はどのように作られたのか。その秘密に迫るべく、脚本作りに携わり“三谷氏の最も近くにいた”と言える制作統括の吉川邦夫チーフプロデューサーに聞いた。

◆「等身大の目線でリアルな人間として描きたい」三谷氏と時代考証の橋渡し

 吉川氏は1985年入局。90年、ドラマ部に異動。2010年から2年間、放送文化研究所に籍を置いた以外はドラマ畑。もともとはディレクターで「真田丸」も第4話「挑戦」(1月31日放送)の演出を担当した。大河ドラマに関わるのは今回が7作目。

 三谷氏が初の大河脚本を担当した「新選組!」(04年)からの付き合い。当初は2番手のディレクターを務める予定だったが、三谷氏との脚本作りを先行。「最後までのメドがついたら演出をしようと思っていたんですが、最終回の1つ前、第48話『流山』しか演出に割く時間が残っていませんでした」と苦笑いで振り返った。

 三谷氏と吉川氏の関係は、言ってみれば作家と編集者。三谷氏の“最初の相談相手”で、三谷氏のアイデアを聞いて時代考証の学者(黒田基樹氏、平山優氏、丸島和洋氏)との橋渡し役も担う。「大河ドラマの場合、ストーリーは大きな流れが決まっていますが、三谷さんは常に等身大の目線でキャラクターを描きたい。あまり人物を定型にハメたくないんです。振れ幅の大きいリアルな人間として描きたいということがあるので、それをどうやって歴史上の出来事と結び付けていくか」がポイントの1つになった。

 例えば、豊臣秀次(新納慎也)。謀反を企てたことを理由に豊臣秀吉から切腹を命じられた、という解釈が従来は主流だった。素行の悪さから「殺生関白」と呼ばれたという説もあるが、今回はそのような描き方をしなかった。秀吉は実の息子・拾(秀頼)を溺愛する一方で、甥の秀次にも目をかけ、気遣った。秀頼が成長するまで守ってくれる数少ない身内だったからだ。しかし、秀次はその気遣いの意図を読み違え、プレッシャーを感じて自らを追い込んだ…。

 「三谷さんは秀次の哀しみを等身大で描きたいので『殺生関白』といった記号的に悪い人物にしたくないわけです。秀次が重圧に押しつぶされて自害したという説があると分かり『それは僕らが描きたかった秀次そのもの』と一連の流れが出来上がったんです」

◆長く書き→削り→再構築&凝縮 説明排除「テンポよくなり、行間深まる」

 三谷氏の大河ドラマの“書き方”については、こう解説する。

 「だいたい長く書かれます。それを削り、再構築し、凝縮していく。そうすると、人がAからCに変化する時、普通は変化するためのBというシーンがあるんですが、ポーンとなくなってしまうことがあります。一見すると感情が飛んでいるですが、飛ばすことによって、逆にその間にどういうふうに人が変わるのかというのを、視聴者の皆さんが想像することができる。ある意味、視聴者の皆さんを信じているとも言えますが、間を全部説明しようとしない。だからテンポが良くなる上に、行間がより深まって、話が盛り上がるんです。きり(長澤まさみ)はどうしてああいう行動をしたのか、春(松岡茉優)は一体どのような女性なのか、どういう家庭環境だったらああいう人物になるのか…と。三谷さんの中で、一度膨らませてから凝縮しているから、全部説明されなくても、実感が生まれるんです」

 一例は第1話「船出」(1月10日放送)。武田家が絶体絶命の危機を迎え、囲炉裏を囲んだ真田家の“家族会議”。父・真田昌幸(草刈正雄)は一家全員を前に「安心せえ。この真田安房守がいる限り、武田が滅びることは決してない」。直後のシーン、息子の信幸(大泉洋)信繁(堺)と3人だけになると、昌幸は「武田は滅びるぞ」−。

 「単純に見るとギャグのようにも思えるし、もちろん笑えるんですが、そこには行間が生まれていて。(昌幸の)母・とり(草笛光子)、妻・薫(高畑淳子)、娘・松(木村佳乃)と女たちの前だと『滅びない』と言い、息子2人の前だと『滅びる』と言う。その間に『昌幸がなぜそうするか』ということは全く語られていないわけですが、昌幸は息子2人を他の者とは全然違うふうに見ているということ、息子2人には本音を語るということが象徴されています。そして昌幸が、必要ならためらうことなく二枚舌を使う男だということも」

◆終盤の追い込み時“24時間態勢”の打ち合わせ 仮眠時も耳元に携帯電話

 終盤の追い込み時は連日、電話とメールによる打ち合わせ。通常は顔を合わせてしていたが、三谷氏も執筆で缶詰め状態なら、吉川氏も準備稿の直しや先の展開の史料調べなどで缶詰め状態。24時間、お互いにいつ連絡を取りたくなるか分からないので、移動の時間がもったいなかった。仮眠を取る時も、電話やメールの着信に気づくように、耳元に携帯電話を置いて寝た。

 「苦労がなかったとは言いません。50本は多いと、あらためて思いました」としながらも「多いからこそ、50回のドラマを最初から全部決めて作っていたら、ハッキリ言っておもしろくないんです。大河ドラマは30回台くらいに、書いている人も撮っている人も演じている人も疲れてしまい、中だるみすることがあるんですが、今回は全くそれがなかった。それは、三谷さんが物語の向かう先を決め決めにせず、柔軟に人物を動かしていったからだと思います。特に歴史物は出来事が決まっているから、つい枠にハメがちなんですが、定説を『本当にそうなのか?』と疑ってかかる余地、あるいは史料にあえて書かれていない部分に意外と大事な真実があるんじゃないかと想像を巡らせる余地を、常に三谷さんは残している。隙間を残しておくということは怖いんですが、それでこそ話が膨らむので」と三谷氏の作劇を絶賛。長い共同作業を終え、充実感がにじんだ。

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