吉本新喜劇で活躍「大阪名物パチパチパンチ」の島木譲二さん死去

[ 2016年12月17日 05:30 ]

死去した島木譲二さん
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 吉本新喜劇のお笑い芸人、島木譲二(しまき・じょうじ、本名濱伸二=はま・しんじ)さんが16日午前9時6分、脳出血のため大阪市内の病院で死去した。72歳。兵庫県出身。上半身裸で体を何度も叩く「大阪名物パチパチパンチ」や「ポコポコヘッド」のギャグで人気だった。2011年に体調不良を訴え、長く療養生活を送っていた。

 関係者によると、島木さんは妻の昭子さん(73)とともに自宅にいた15日、体調不良を訴えて、救急車で大阪市内の病院に緊急搬送され、翌16日に昭子さんにみとられ、静かに息を引き取ったという。別の関係者によると、1週間ほど前から記憶があいまいになる症状が出ていた。

 電話取材に答えた昭子さんによると、島木さんは慢性腎う炎を患い、人工透析を受けるなど長年、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていた。その間、新喜劇の舞台に再び上がる夢は諦めず「仕事をしたいなあ」と話していたという。

 2011年1月、体調不良を理由に大阪のなんばグランド花月での新喜劇やイベント出演を全てキャンセルし、同年2月に所属する吉本興業が休業を発表。事務所を通じ「心配かけてごめりんこ。また元気になって舞台頑張りますのでよろしくお願いします」とコメントしていた。

 元々は野球少年だったが肩を壊し、大阪市内の興国高で、世界王者・井岡一翔らを輩出したボクシング部に入った。卒業後はプロになり、ミドル級の西日本新人王に輝いたが、右目を痛め、5年ほどで引退した。

 その後、1970年ごろから毎日放送(大阪)で警備員を務めていたが、殺陣師の故的場達雄さんにスカウトされ、門下生となり、芸能界へ。80年に新喜劇に入り、俳優でも89年、マイケル・ダグラスや故松田優作さん出演のハリウッド映画「ブラック・レイン」に故若山富三郎さん演じるヤクザの子分役で出演した。

 新喜劇の作家が動物園に行った時にゴリラが島木さんに見えたことから、台本に「島木がここでドラミング」と書き込んで生まれたのがパチパチパンチのネタ。本人も「吉本で誰も上半身裸のギャグがないと思ってたから。服を脱がんかったら今みたいになってないかも」と人気者になった理由をうれしそうに語っていたが、もうあの姿を見ることができなくなってしまった。

 ◆島木 譲二(しまき・じょうじ)1944年(昭19)9月13日、兵庫県尼崎市生まれ。プロボクサーを引退後、JBC(日本ボクシングコミッション)の下部組織でタイムキーパーや警備員を経て芸能界へ。吉本新喜劇では当初、「吉本の渡哲也です」というギャグで売り出す。武田薬品「アリナミンV」のCMでは同じ新喜劇の池乃めだかとともにアーノルド・シュワルツェネッガーと共演した。

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