【夢中論】堺正章 走る美術品を未来につなぐ“巨匠”

[ 2016年12月13日 10:00 ]

インタビューを行ったなじみの店「キャンティ」の階段を上る堺正章
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 タレントの堺正章(70)は筋金入りの「クラシックカーを愛する男」だ。所有する3台の車を使い回して国内外のレースを転戦。イタリアの有名な公道レースで、日本でも行われる「ラ・フェスタ・ミッレミリア」には、日伊の両方にほぼ毎回参加している。維持費も高く、故障もしやすい「走る美術品」に夢中になる理由を語った。

 周囲によく語る持論がある。仕事はやりがい、趣味は生きがい――。

 「仕事で報酬をいただく。その報酬を使って、使わなくてもいいけど、夢中になるものを持つべきということ。仕事とその人間関係にだけ埋もれるとどうしたって行き詰まる。ワクワクすることが待っているから仕事も懸命に頑張る。僕はそのバランスでやってきました」

 1965年のデビューから、芸能界の第一線を走り続けて51年。一番の「生きがい」はクラシックカーだった。出合いは89年、旅行先のイタリア。道沿いにできた人垣をかき分けると、色とりどりの美しいクラシックカーの列が目に飛び込んできた。

 「僕が生まれる前に誕生した車が現存して目の前を走っている。こんなにきれいで人を魅了する形の車が、そんな古い時代に造られていたのかと衝撃を受けました」

 この時、行われていたのがイタリアで伝統的に開かれている「ラ・フェスタ・ミッレミリア」。往年の名車が約1600キロの道のりを走り、住民と触れ合いながらクラシックカーの実走する姿を見せるレースだ。

 「出ている人、見ている人の顔を見ると、大人が子供のように楽しんでいる。こんな夢中になれるものは魅力があるに違いないと確信しました」

 帰国してすぐにクラシックカーについての勉強を始め、専用の国際免許を取得。翌90年に早速、副ドライバーとしてミッレミリアに参加。92年には初めて購入したクラシックカー「チシタリア202」を自ら運転し1600キロを完走した。同年に初めて行われた日本版ミッレミリアにも、初回からほぼ毎回出場している。

 「それまで車は運んでもらう道具としか思っていなかった。でもヨーロッパの人たちは文化として継承していこうとしていて、古いものに敬意を払っている。美術品のような感覚なんですね。その美学と歴史観に圧倒されました」

 ▽「ラ・フェスタ・ミッレミリア」 ミッレミリアはイタリア語で1000マイル(約1600キロ)のこと。北イタリアのブレシアとローマを往復するコースが使われている。イタリアで1927年にスタートし、57年に中断。82年から復刻版として再開した。日本には92年に初上陸。97年から毎年秋に行われている。

 ◆堺 正章(さかい・まさあき)1946年(昭21)8月6日、東京都生まれの70歳。62年、鎌倉学園高在学中に「ザ・スパイダース」にボーカルとして加入。65年にシングル「フリフリ」でデビューした。70年の解散後、ソロに転向。71年「さらば恋人」で日本レコード大賞大衆賞を受賞。俳優、司会者としても活躍。血液型A。父は喜劇役者の堺駿二さん。

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