平幹二朗さん急死…舞台、ドラマで生涯現役 前日まで「元気でした」

[ 2016年10月24日 05:30 ]

亡くなった平幹二朗さん
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 圧倒的な演技力で知られ、旭日小綬章を受章した俳優の平幹二朗(ひら・みきじろう、本名同じ)さんが23日、亡くなったことが分かった。82歳。広島県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。自宅の浴槽で倒れているところを同日午後6時半ごろ家族が発見し、119番通報した。舞台や映画、ドラマで活躍し、生涯にわたり第一人者として君臨した。私生活では、84年に当時の妻だった女優佐久間良子(77)と離婚。その際に行った会見は芸能史に残るものとなっている。

 NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(70年)、「国盗り物語」(73年)で主演するなど、演劇界のスターに君臨した平さんが23日、急死した。

 関係者によると、所属事務所がこの日、平さんと連絡が取れなかったため、家族に様子を見に行ってもらったところ、自宅の浴槽で倒れていたという。知人は「死因はまだ分からないそうです。昨日まで元気でした」と話した。訃報を受け、長男で俳優の平岳大(42)も駆け付けて最後の別れを告げた。

 平さんはフジテレビ「カインとアベル」(月曜後9・00)に出演中で9月29日に行われた24日放送の第2話分まで撮影を終えている。また、今月9日まで大阪で上演された舞台「クレシダ」に主演。これが最後の舞台出演となった。演劇関係者によると、公演中も元気そのもので「何ら変わった様子はなかった」という。千秋楽となった9日の大阪公演後は元気な様子で京都の街を歩いている姿が目撃されていた。

 1933年生まれ。高校卒業後の53年に俳優座養成所に5期生として入所し、56年に俳優座入団。仲代達矢(83)と並ぶホープと目された。63年に最高視聴率42%を記録したフジテレビのドラマ「三匹の侍」に出演し人気を博した。68年にフリーになった後は、浅利慶太氏(83)や故蜷川幸雄さんら気鋭の演出家に認められ、大劇場のスターの座を不動のものとした。98年に紫綬褒章、05年に旭日小綬章を受章した。

 76年「卒塔婆小町」で組んで以降「NINAGAWA・マクベス」など17作品を共にし、海外公演で国際的な評価も得た40年来の盟友、蜷川さんも、くしくも今年5月に亡くなった。お別れの会では弔辞で「あなたは一度も僕の演技を褒めてくれませんでしたね。褒め言葉を引き出したくて必死に熱演を重ねた」と話したばかりだった。日本は演劇界の至宝を立て続けに失うことになった。

 私生活では70年に結婚した佐久間との間に、74年に岳大ら男女の双子をもうけた。

 生涯にわたり現役を貫いた平さんだが、87年には肺がんのため手術を受けている。左肺の4分の1を切除したが、闘病の事実を世間に知られぬまま、40日の入院を経てすぐに仕事復帰した。以降体調不良とは無縁だったが、突然の死となった。

 ◆平 幹二朗(ひら・みきじろう)1933年(昭8)11月21日、広島県生まれ。生後間もなく父親が病死し、母一人子一人の家庭に育つ。高校在学中に演劇に関わり、映画監督を志す。俳優座で役者デビューし、初舞台は56年の「貸間探し」。以降、テレビドラマや映画など幅広く活躍した。04年の舞台「鹿鳴館」では佐久間、岳大と共演を果たし話題を呼んだ。

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