不倫報道で男を下げた橋之助には、勘三郎さんの「覚悟」が必要!

[ 2016年9月21日 08:00 ]

神妙な面持ちで会見をする中村橋之助

 【川田一美津の「何を今さら」】情けない。歌舞伎の中村橋之助だ。京都の芸妓との密会を週刊誌に暴かれて、急きょ、芸能マスコミに対応した。リポーターに男女の関係などを問われて、「私の不徳のいたすところです」と頭を下げっぱなし、時に涙をためながらも不倫を否定することが出来なかった。

 こんな残念な姿は果たしてファンの目にどう映っていただろうか。ただでさえ褒められることではないのに、時期も悪かった。成駒屋の大名跡・八代目中村芝翫の襲名披露興行が来月、東京・歌舞伎座で幕を開ける。その大切な自身の公演直前のスキャンダル。もちろん、報じる側は用意周到に、この時を狙っていたのだろう。

 若手の代表と言われていた橋之助も現在51歳。いつの間にか次代の歌舞伎界を背負って行く役者になった。それだけに、厳しいようだが、ひと言で「いい年をして何やってんの」である。京都の花街と歌舞伎界の縁が深いことは、誰でも知っている。かつては舞台が跳ねると何人もの芸妓を引き連れて飲み歩くスター役者もいた。南座で1カ月芝居をすると、遊び代が出演料を大幅に上回り、夫人に激怒されたベテランもいる。でも、それは昔の話。ましてや、不適切な関係と書かれ、きっぱり釈明出来ないような行動はアウト。それも一世一代の晴れ舞台が目の前に迫っているのにだ。

 襲名を控えての謝罪会見に、亡き中村勘三郎さんを思い出した。2005年1月のことだ。都内のホテルで行われた「勘三郎襲名を祝う会」の夜、泥酔した次男の七之助が警察官に暴力を振るって逮捕された。翌日は早朝から大勢のマスコミが自宅に押しかけた。たまりかねた勘三郎さんらが銀座のホテルに部屋をとり、その後の対応を苦慮していた。

 私もすぐに呼び出され、その部屋に急行。当初、ファクスでコメントを出す方向で話しが進められたが、土壇場で会見をすることが決まった。それは、「親が息子の不始末の責任をとるのは当然。僕の襲名なんてどうなってもいい。父親として世間に謝らないと気が済まない」との勘三郎さんの強い意向が働いたからだ。その後は、みなさん、ご承知の通り。勘三郎襲名興行は無事に幕を開け大成功。七之助も今や若手で一番の美しい女形に成長した。

 もちろん、今回の橋之助の件とは内容も異なれば、立場も違う。ただ、会見に臨んだ橋之助の様子を見て「情けない」と感じたのは、決して私だけではないはずだ。その理由は、思わぬ窮地に立たされた時にしっかりと「覚悟」が出来るか出来ないか、「腹のくくり方」にあると思う。正攻法で乗り切った勘三郎さんとの差はそこにあるのではないだろうか。

 何を今さらと言われるかもしれないが、橋之助は勘三郎さんの義弟。これまで数え切れない舞台をともにし、公私にわたり全速力で駆け抜けた十八代目の生き様を一番近いところで見て来たはず。大名跡を名乗る来月の舞台では、心機一転、その兄にも負けない役者としての「覚悟」を見せてほしい。(専門委員)

 ◆川田 一美津(かわだ・かずみつ)立大卒、日大大学院修士課程修了。1986年入社。歌舞伎俳優中村勘三郎さんの「十八代勘三郎」(小学館刊)の企画構成を手がけた。「平成の水戸黄門」こと元衆院副議長、通産大臣の渡部恒三氏の「耳障りなことを言う勇気」(青志社刊)をプロデュース。現在は、本紙社会面の「美輪の色メガネ」(毎月第1週目土曜日)を担当。美輪明宏の取材はすでに10年以上続いている。

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2016年9月21日のニュース