黒柳徹子 涙と笑いで別れ「永さんのいないこの世はつまらない」

[ 2016年8月30日 13:25 ]

青山葬儀所に入る発起人代表の黒柳徹子

 放送作家、作詞家などとして活躍し、7月7日に83歳で死去した永六輔(本名・永孝雄)さんのお別れの会「六輔 永(なが)のお別れ会」が30日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。故人と60年以上の親交がある発起人代表でタレントの黒柳徹子(82)が出席し、お別れの言葉を送った。

 「私の死んだ時に葬儀委員長をやると言っていたのに、思惑が外れましたね。60年以上お友達なのに一度もケンカしたことがありません」と話しかけた黒柳。最後に会ったのは亡くなる3日前だったといい、「お見舞いに行って、永さんはずっと寝てましたけど、永さんと呼びかけるとパッと目を覚まして、あはははと嬉しそうに笑ってみてました」と振り返った。

 遺族からは「なるべく楽しい話を」との依頼を受けたといい、永さんのあごが外れた話や、渥美清さんとのエピソード、61年前の出会いについてなど、笑いを交えて披露。さらには「60年以上の付き合いがあるのに、ご飯を食べたことがありません。ラーメン屋でネギ飯を1度だけおごってもらったことがあるけど、それ以来、一度もないと」と恨めしそうに語り、笑いを誘った。「本当にいいお友だち以上の、同志でも戦友でもなく、解り合っているわけじゃないけど、こういうの何て言うんでしょうかね。心からの友だちだった。『徹子の部屋』にも最多出場してくれた」と感謝。「『徹子の部屋』もあと10年まではやろうと思っていたけど、永さんのいらっしゃらないこの世の中は、つまらないと思っています。いろいろな方が亡くなったが、最後の一撃だった。どうぞ見守ってください。永さんが教えてくださったこと、お書きになった歌を忘れないように生きてゆきます。私の葬儀委員長をやることになっていたんだから、本当に悲しいと思っています。60年以上もお友だちでいてくださってありがとうございます。心から感謝します。ご冥福をお祈りします。また近いうちにお会いすると思うので、その時にまた。じゃあね」と呼びかけた。

 祭壇には20代、50代、70代の笑顔の永さんが並んだ。「永さんってあんなにハンサムだったんだな」と笑った黒柳。「永さんがいなくなって心にぽっかり穴が空いたよう」と言葉を詰まらせた。7分の予定だった黒柳のお別れの言葉は予定を大幅に延長して15分以上にも及んだ。時折、涙ぐみながらも笑顔で故人にメッセージを送った。

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