悼む声続々…小林亜星 永さんの存在「日本人にとって無上の幸運」

[ 2016年7月12日 05:30 ]

96年、永六輔さん(左)らとJASRACの問題を追及した小林亜星氏

永六輔さん死去

 ▼小林亜星(作曲家)世の中にも仕事にも友達にも、そしてご自分に一番厳しい人でした。戦後の日本に永さんがおられたことは、日本人にとって無上の幸運だったと思います。

 ▼ジェリー藤尾(歌手)遠くへ行きたいを歌っていた時に「遠くってどこ?」と永さんに尋ねたことがあった。永さんは「天国でも地獄でもいいんだ。何か遠くを思って歌いなさい」と言われた。当時はよく分からず、いまだに難しくてきちんと歌えたことが一度もない。これからは永さんを思い、天国に向かって歌っていきたい。

 ▼北島三郎(歌手)昭和39年にNHK「夢であいましょう」で初めてお会いして「帰ろかな」という楽曲で北島三郎という歌い手にジャンルの違う新しい色を与えていただいた大切な方でした。地方公演を一緒に回った際には素敵なおしゃべりで舞台を盛り上げていただいた思い出があります。人間として大きく温かい素晴らしい方でした。

 ▼さだまさし(歌手)日本のラジオ、テレビの原点のような人。一つの大きな時代が区切りを迎えたようでショックです。おかしいことはおかしいと言えるロック魂を持っていた。偉大な大先達、兄貴分であり、導いてもらった。

 ▼梓みちよ(歌手)最後にお会いしたのは、2年前の「夢であいましょう」のイベントでした。私がデビューしたばかりの頃、「こんにちは赤ちゃん」なんて、ママでもないのにどうやって歌えばいいんですか、と泣きそうになりながら聞いたところ「いいかい。女性はみんな母性本能があるんだ。胸に玉のような可愛い赤ちゃんを抱いていると思って歌えばいいんだよ」とアドバイスを頂きました。その時の言葉が、今でも昨日のことのように思い出されます。

 ▼桂文枝(落語家)私が関西大学の学生だった頃にテレビ出演がきっかけでお見知り置きをいただいて、永さんが大阪に来られるとご連絡をいただくと一時、かばん持ちをさせていただいたことがありました。最後に舞台で一緒させていただいたのは毒蝮さんのプロデュースの舞台だったと思いますが、車椅子を押させていただいたのを覚えています。ラジオでのしゃべり方をいろいろ教えていただきました。

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2016年7月12日のニュース