古舘伊知郎氏、新番組の構想…「顔面国連軍」鶴瓶にインスパイア!?

[ 2016年6月28日 11:20 ]

12年のキャスター生活も糧にする古舘氏

 「しゃべり屋」。古舘伊知郎氏(61)は自身をそう定義する。12年間務めてきたテレビ朝日「報道ステーション」キャスターを今年3月31日に卒業。6月1日にトークライブで復帰し、バラエティー番組にも出演すると、報ステでの自制した姿が別人だったかのように自由奔放、縦横無尽に語り始めた。しゃべり屋の原点に迫る。

 それから約9年後、再び背中に電流が走る瞬間が訪れた。アナウンサーを志し、テレビ朝日に入社すると、その約3カ月後には新日本プロレスの実況の仕事が来た。元々プロレスが好きで、高校時代は友人同士のプロレスを実況して遊んでいた。最初の中継は埼玉・越谷市体育館で行われた長州力―エル・ゴリアス戦(録画)だった。

 「放送の日、ちょうど新日の慰安旅行に同行して伊豆大島にいました。坂口征二さんたちがマージャンをしている横で水割りを作ってた。ちょっと抜け出してテレビをつけると、画面の中の僕がしゃべり始めた。その時、“実況古舘伊知郎”とテロップが出たんです。それを見た瞬間、背中にしびれが走りました。僕みたいな卑小な存在が、憧れのしゃべり手になれた。自分で自分を出産したような感じでした。あの時の感動が今の僕を支えてるんです」

 その後、プロレスのメイン実況を任され、独特のしゃべりが大きな反響を呼んだ。尋常ではない言葉数と、自身が考案した「ひとり民族大移動」(アンドレ・ザ・ジャイアント)「黒髪のロベスピエール(フランスの革命指導者)」(前田日明)などの造語のインパクトは強烈だった。

 「よく“うるさい”“変だ”“やめろ”と言われました。アナウンス部の上司にも“見れば分かるんだからヘッドロックで寝技に入ったら少し黙ってろ”と怒られた。でも、僕は正統が六分であとの四分は発狂状態ということをやりたかった。伝統を守りながら壊す。それが大事で、今のバラエティーも、どうぶっ壊そうか考えてます」

 キャスター卒業後、テレビを見ながら自身が出演したい新番組について思いを巡らせる日々が続いている。

 「“鶴瓶の家族に乾杯”みたいな番組を民放でできないだろうか。あれはNHKが全国に張り巡らした情報網と、言葉を必要としない鶴瓶さんの笑顔があって初めてできるんです。僕は鶴瓶さんを“顔面国連軍”と呼んでます。でも、民放があえて弱点を抱えながらパロディーとしてやってみると面白いんじゃないですか。今のバラエティーはローリスク・ローリターン。ハイリスク・ハイリターンは無理だけれどミドルリスク・ミドルリターンは狙いたい。例えば“古舘の離婚に乾杯”とかね」

 その背中に3度目の電流が走る日が来るかもしれない。

 ◆古舘 伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日生まれの61歳。東京都出身。1977年に立大経済学部卒業後、テレビ朝日に入社。84年に退社し、「古舘プロジェクト」を設立。フジテレビのF1中継実況や同局「夜のヒットスタジオDELUXE」司会のほか、NHK「紅白歌合戦」の白組司会を94年から96年まで連続3回担当。2004年4月からテレ朝「報道ステーション」のキャスターを務めた。

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