吉行和子 80歳、今が熟れ時「まだまだできる役がある」

[ 2016年6月26日 12:00 ]

穏やかな表情を見せる吉行和子

 女優の吉行和子(80)が、今、旬を迎えている!?映画やドラマに引っ張りだこで、「この年齢になって仕事ができる幸せをかみしめています」。幼いころから持病のぜんそくに苦しんだ。この道に進むきっかけは、母親と一緒に見た舞台。いくつかの偶然が重なって運命の扉を開いた。その俳優人生とは…。

 「役者をやっていてよかったと思ってます。この年齢になってまだまだできる役があると感謝しながら日々過ごしてます。私は女優さんになりたいなんて一度も思ったことはありませんでした。あることがきっかけで、こんなに長い間、充実した日々を送ることができてありがたいですね」

 生まれた時から体が弱く、ぜんそくに苦しんだ。突然襲われる発作は、死ぬほどつらかった。息もできない。しかし、しばらくするとケロッと普通の状態に戻った。子供心に不思議な病気と思っていた。いつまでこんなひどい目に遭うのだろう。学校へ通う頃は、夢も希望も持てなかった。大人になってもきっと自分は何もできない、成長するにつれて将来を語る友人たちをうらやむこともあった。

 運命の扉が開いたのは、中学3年の時だ。美容師をしていた母あぐりさんが偶然、客からもらった2枚のチケット。普段、仕事に追われ、子供と出掛けることなどなかった母に連れられ、劇団民芸の舞台「冒した者」(作・三好十郎)を見に行った。

 「難しいお芝居でしたね。原爆症に侵された少女があんなに元気なのに死んでしまうということしか分かりませんでした。でも、なんてかわいそうなんだろう、なんて戦争ってひどいんだろう、なんて演劇って凄いんだろうという思いだけは残りましたね」

 高校卒業後、思い切って民芸付属の研究所へ飛び込んだ。女優になろうとしたわけではない。何か無性に舞台に関わる仕事がしたかったからだ。劇団が「アンネの日記」を上演することになり、オーディションでヒロイン役が決まった。ところが公演が始まり、わずか1週間。また偶然が起きた。主役が風邪でダウン。思わぬことからアンネ・フランクの役が回って来た。

 「幸い勉強のためと言われ稽古には参加していたので、セリフは覚えていたんですね。でも、急に指名された時は、迷惑以外の何ものでもなかったですね。動きは分かりませんし、でも、先輩のみなさんが“こっちへおいで”なんて、セリフにして導いてくれました」

 これが今の彼女につながる第一歩。新劇女優の殻を破ったのは、大島渚監督の映画「愛の亡霊」(1978年)だった。兵隊帰りの男に身も心も奪われ、夫を殺害する激しい愛に生きた人妻役。「30歳を過ぎるとなかなか面白い役に巡り合わなくて、“この役を逃したらずっとおばさん役で終わっちゃうのかな”と思いました。本を読んだ時は、私がヒロインに代わって恋を成し遂げてあげようという気持ちでしたね」

 42歳の決断だった。

 映画をきっかけに自身の周囲もガラッと変わった。「あなたがこんな作品に出るとは思わなかった」と去っていく知人もいた。逆に「この役をやってもらいたい」と次々に新たな仕事が舞い込み、結果的には女優業の幅を大きく広げることになった。

 認知症の母親役で注目を集めた「折り梅」(2002年)以後、毎年のようにスクリーンに登場している。今年はすでに「家族はつらいよ」「夏美のホタル」に出演、そして、来月2日に公開される「海すずめ」では、戦死した恋人にいちずな思いを寄せる一人暮らしの女性を好演している。

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