通算59回目 AKB被災地月1訪問 「被災者」から「支援者」へ

[ 2016年3月7日 12:15 ]

「心のプラカード」で被災者に向けカードでメッセージを送るAKB48のメンバーたち

 東日本大震災2カ月後の2011年5月から月1回の被災地訪問を続けているAKB48が6日、岩手県盛岡市の岩手県民会館で通算59回目の支援活動を行った。指原莉乃(23)、渡辺麻友(21)ら人気者に交ざり、岩手、宮城、福島の被災3県で暮らすメンバーも出演した。被災者でありながら、支援者になった少女たち。ステージでは明るい笑顔を見せるが、胸の内には複雑な心境が垣間見えた。

 震災5年を前にした支援ライブ。会場に集まった約1500人の被災者らに向けて、出演メンバー26人全員でプラカードを掲げた。

 「夢や希望や未来はここにある ともに明日へ」

 客席には、58回の支援活動を通じて知り合った子供たちの姿もあった。

 26人の中に、被災したメンバーが4人いた。舞木香純(18)は福島県広野町出身。中学1年の時、バレーボール部の練習中に大きな揺れに襲われた。学校は高台にあったが、住み慣れた町が津波にのみ込まれていく光景は「怖くて見られなかった」と振り返る。

 福島第1原発事故で一時、全域が「緊急時避難準備区域」(11年9月に解除)に指定され、転校。「原発の何が危険かよく分からないまま避難した」と話す。

 一家5人で移り住んだいわき市で13年3月11日、支援活動にやってきたAKBのステージを初めて見た。板野友美(24)ら6人のメンバーがステージで輝いて見えた。「みんなキラキラしていた。パフォーマンスで心を動かせるアイドルのパワーって凄いと思った」。不自由な避難生活の中、自分も何かしたいと、AKB48の門を叩いた。

 故郷の広野町は、帰還した町民より除染作業員が多いまま。「もっと有名になって町を元気づけていきたい」と語った。

 宮城県出身の佐藤朱(19)も、AKBの被災地訪問が加入のきっかけだ。自宅は津波にのまれ、2カ月近く避難所で暮らした。舞木と同じ13年3月11日、同県多賀城市にやってきたAKBのライブを見た。「今まで灰色だった思い出がキラキラしたものに変わった」。県代表としてテニスの全国大会に出るほどのスポーツ少女が、被災地をキラキラさせたいとアイドルの世界へ飛び込んだ。

 佐藤が見たライブに出演していたのが、仙台市出身の岩田華怜(17)だ。仙台市内の自宅マンションは大きな亀裂が入り、立ち入り禁止になった。AKBの「研究生セレクション審査」を受ける矢先のことだった。地元は壊滅的な被害。このままAKBへの挑戦を続けていいのか悩んだ。

 一度は諦めたが、母親に「あなたが頑張ってる姿が周りの人への励みになる」と背中を押された。震災から2週間後、セレクション審査を受けることを決意。自宅が立ち入り禁止のためセレクション用の洋服も持ち出せず、母親と2人で着の身着のままで上京。仙台から大阪へ飛行機で向かい、新幹線を乗り継いで東京にたどりついた。ビジネスホテルに1カ月泊まり込んだ。幸いにも被災者支援で無償だった。

 岩田はこの5年間、個人的な活動も含めてメンバーの誰よりも多く被災地を訪れてきた。

 「被災地を利用しないでください」と厳しい言葉を浴びせられ、訪問先で歓迎されないこともあった。それでも「あのステージで歌ってみたいと思う子がいるなら、AKBの活動は決して無駄じゃない。復興にゴールはない。だから、AKBが活動をやめる理由はない」と言い切る。15日にAKBからの卒業公演を行う。次の夢は米ブロードウェーへの進出だ。

 被災者でありながら、被災者に元気を、夢を与えてきた少女たち。共通の思いは「故郷のために」。卒業しても、その思いは変わらない。

 ≪子供たちと作る未来のジオラマ≫会場入り口には岩手県山田町の子供たちがAKBとつくる未来の町を形にしたジオラマが展示された。山田町はAKBが最初に被災地支援で訪れた場所。子供たちがメンバーとの絆を形に残すため13年からジオラマ作りに着手。いまも“町”は発展し続けている。

 会場に駆けつけた中学1年の阿部伊祥(いさき)さんは、ジオラマ製作チームの3代目“総監督”だ。自宅が津波に流され全壊。断水で川の水を使って洗濯した。AKBの活動に影響を受け「いろんな人を勇気づけられたら」と、得意の民謡での支援活動を考えている。

 この日は山田町のご当地ヒーロー「マブリットキバ」も来場。「震災で人々は娯楽や音楽を自粛した。子供たちは夢を我慢することを強いられた」と振り返り、AKBが子供たちに教えたのは「“我慢せずに夢を追っていい”ということ。彼女たちは全力で接してくれた」と感謝した。

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