杏子“最大の個性”が思わぬ壁に ハスキーボイス維持の苦悩

[ 2016年2月28日 12:00 ]

椅子に座り、クールな表情を見せる杏子

杏子インタビュー(上)

 ハスキーボイスと華麗なダンスで人気の杏子(55)は、カッコイイ大人の女性ミュージシャン。かつてはロックバンド「バービーボーイズ」の紅一点。音楽一筋と思いきや、「本当は2、3年、歌ってチャッチャとお嫁に行こうと思っていたのに」と意外な答えが返って来た。

 バービーボーイズは憧れだった。80年代、時まさにバンドブーム。当時、杏子は別のグループのボーカル。KONTAら4人のメンバーをまぶしく見つめていた。都内のライブハウス。客を呼ぶために複数のアマチュアバンドが集まる「対バン」で一緒になった。

 「2曲歌ってみませんかと誘われて歌いました。そしたら、男女のツインボーカルが凄く面白くて。それをデモテープにしてオーディションに応募したら何となく合格してしまった。このまま私はバービーの一員?それもプロになっちゃうのなんて」

 人生は何が起きるか分からない。だから面白い。この時、彼女は大学を卒業して商社に就職したばかり。戸惑いもあった。学生時代もバンド活動はしていたが、プロになろうと思っていたわけではない。母親は大反対、会社員の父は何も言わなかった。

 「最初はラッキー!これってダブルインカムみたいに軽く考えてましたね。2、3年歌ってチャッチャとお嫁に行こうかななんて。実際に兄の知り合いとお見合いをしたこともありましたし。結局、相手の人が地方にいたので話が進みませんでしたけど」

 正式なデビューが決まると、各地のライブハウスで連日のようにステージが続いた。プロの世界は甘くなかった。頭をよぎった二足のわらじも一瞬で吹き飛んだ。思いがけない壁にもぶつかった。それは自分が最大の個性と思っていたハスキーボイス。ボイストレーナーからは「発声が全くできてない。歌い方を変えなさい」と言われた。「この声が私の売りなんです」と伝えると「君は歌えなくなってもいいのか」と怒鳴られた。

 「こういう声ですから、すぐに出なくなっちゃうんですよ。学園祭なら次の日を考えなくてもいいけど、この世界ではそうはいきませんから。いかに声をキープするか、それが何よりも問題でした」

 人気者の階段を順調に駆け上がり、渋谷公会堂、東京ドーム、そして、全国ツアー。しかし、地方へ仕事で出掛けた時は、食事をすませると一人ホテルの狭い部屋でぽつんと過ごした。それは喉を守るため。ボーカルとしての責任だ。他のメンバーとは別行動、ストレスがたまった。しかし、ストイックな生活には大きなプラスもあった。彼女の心には「ステージ優先」というプロ意識が知らぬ間に植え付けられていた。

 「普段、自分を抑えているためか、納得いくパフォーマンスができると物凄い達成感を感じるようになった。お客さんの歓声を合図に魔法の時間が始まるんですよ。それを繰り返すうちに、自分の進むべき道が見えてきたような感じがしましたね」

 ◆杏子(きょうこ)1960年(昭35)8月10日生まれ。長野県出身。都内の女子大を卒業し、商社に勤務しながらバンドで活動。バービーボーイズのツインボーカルとして、84年、「暗闇でDANCE」でメジャーデビュー。「女ぎつねon the Run」「目を閉じておいでよ」などがヒット。解散後はソロで音楽活動。ダンスエクササイズの「バイラ バイラ」でも人気。

続きを表示

2016年2月28日のニュース