三浦貴大“とりあえず”の意識変えた俳優の原点 親子共演は「30代のうちに」

[ 2016年1月29日 10:42 ]

30代に突入し、演技に磨きがかかる三浦貴大

 映画「マンガ肉と僕」(2月13日全国公開)に主演する、俳優の三浦貴大(30)。昨年は主演作・出演作含めて10本もの映画が公開され、フジテレビ系連続ドラマ「探偵の探偵」での好演も光った。大学卒業と共に俳優への道を歩み始めた三浦だが、その理由は意外にも“消去法”だった。昨年11月には30歳にもなり、今年で俳優生活6年目。“消去法”で選んだ道は今、どこまで進んでいるのだろうか。

 30代に突入した。新人でも中堅でもない微妙な時期に差しかかり、あらためて俳優として気を引き締めている最中でもある。「結婚願望は25歳くらいまではあったけれど、今は消えた。仕事に若干慣れてしまっている自分をどうにかしないといけないし、30代は自分を面白くする努力をしなければいけない時。だからこそ仕事以外のことに気をとられていたらマズイ」。もう一つ上のステージへ進めるかどうか、大切な場面にさしかかっている。

 これほど俳優業に真摯に向き合えるとは思っていなかった。なにせスタートは「“とりあえず俳優でも”という軽い気持ち」だったのだから。

 高校は水泳部、大学ではライフセービング部に所属。それまで父・三浦友和(63)の職業に影響を受けることはまったくなかった。転機は就職活動。「大学で精神保健福祉を学び、国家試験を受けて資格を取ろうと思っていた。でも実習に行っている間に、自分には向いてないのではないか、と…。周りの友達は就職活動をしているのに、自分はどうするんだ?と焦った」。

 性格はのんびりタイプ。「もし自分が月給制の会社員になったら、クビにならない程度に何となく仕事をこなして、何となく人生を終わらせてしまう人間になってしまう。だから自分から動いて働きかけないとお金をもらえないような業態でなければ、自分はダメになる」という自覚があった中で、俳優の道を選んだ。

 父には事前に相談することなく、決定事項として報告。「“俺、役者になるね”と伝えた。昔から親は“やりたい事はやってもいいけれど、その後の責任は自分で取れ”という考え。だから“ああ、頑張ってね”としか言われませんでしたけど」。積極的ではないにしろ、これで道は決まった。

 デビュー作は中井貴一(54)主演の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(2010)。「映画の撮影の手順も含めて何もかも知らない」状態で挑んだ人生初体験。そこでの経験が、心境を大きく変えることになる。「役者の仕事は、これまで僕が経験したものとは全く違った。スポーツは、点数やタイムですべてが決まる世界だけれど、役者ははっきりしたゴールがない。ある程度までいったら終わりというものがないし、正解のない仕事。それが本当に楽しかったし、やりがいを感じた」。決まった物差しがないからこそ、レールを自ら作り上げていかないと進めない。理想とするスタイルだった。

 ベテラン共演陣の背中も、俳優業への思いを一気に熱くした。「クランクイン前は“新人だし”という気持ちだったけれど、中井さん、甲本雅裕さん、高島礼子さんら先輩たちの現場での立ち居振る舞い、一人の役者として現場に立っている姿を見たら、そういった気持ちは吹き飛んだ」。先輩俳優陣の厳しさと優しさを一心に浴びて走り切った結果、三浦はデビュー作にして、第35回報知映画賞新人賞を受賞した。

 「“とりあえず俳優でも”と軽い気持ちだった当時の自分からしたら、俳優業がここまで楽しくなるとは思っていなかった。デビュー作には本当に恵まれたと思っている。あの作品がなかったら、自分はここにいられたかどうかもわからない。さまざまなことを学ばせていただきました」。最初の出会いと絆はその後も途切れることなく、毎年年末には“RAILWAYS忘年会”が開かれるという。

 父・友和との共演も俳優としての一つの夢だが「父親としても俳優としても尊敬しているので、今の自分の状態ではまだ共演はしたくない。俳優としてきちんと足場を固めることができてから」と考えている。ただリミットは「30代のうち」と決めている。「30代は守りに入る時期と言われるけれど、僕としては目標となる父親の存在もある。だから楽しみでもある」と目を輝かせた。

 大きな背中を追いつつ、守りに入らず、俳優・三浦貴大としての道を切り開く。親子共演が実現した時、どのような表現・表情を見せるのか、その成熟が楽しみだ。(石井 隼人)

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