五木寛之さん「私たちの希望のともしびであり、先駆けの旗だった」

[ 2015年12月20日 05:30 ]

弔辞を読む五木寛之氏

野坂昭如さん葬儀・告別式

(12月19日 東京・青山葬儀所)
 【五木さん弔辞要旨】野坂昭如。それは僕らにとって単なる一個人の名前ではない。1960年代という反抗の季節に世に出た世代は、あなたの名前を一つの旗印のように感じていたはずである。野坂昭如とは、そんな時代の象徴であり、合言葉であった。

 放送、コマーシャル、歌、雑文など、ジャーナリズムの底辺からボウフラのように浮上してきた私たちを、軽佻浮薄(けいちょうふはく)と笑う人々もいた。蛇蝎(だかつ)のようにさげすむ人もいた。「焼け跡闇市派」と呼ばれ、「外地引き揚げ派」とからかわれ、ときに偽善のマスクを、ときには偽悪の衣をまといつつ、格好良さと格好悪さを虚実皮膜の間に演じつつ、私たちは生きてきたのだ。

 野坂昭如とは、そんな私たちの希望のともしびであり、先駆けの旗だった。同じ時代を生きてきた仲間は次々と逝き、今またあなたを見送ることになって、言葉にならない大きな欠落感を覚えずにはいられない。

 本来、弔辞とは、和紙に薄墨の毛筆で書くと教えられた。しかしあえて400字詰め原稿用紙に万年筆で記すのは、「筆は一本、箸は二本」の厳しい世界を生きてきた仲間へのあいさつである。

 ?会一処(くえいっしょ)。いずれ、いずこの地にか、まみえん。

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2015年12月20日のニュース