何でもネットで分かる時代に…最期まで神秘的だった原節子さん

[ 2015年12月13日 14:35 ]

元女優の原節子さん(1960年撮影)

 今年も残すところ、あとわずか。NHK紅白歌合戦の出場者が発表となり、ジャニーズの躍進やももいろクローバーZの落選など、舞台裏はさまざま。昭和の名女優・原節子さんや「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である漫画家・水木しげるさんの訃報もありました。そんなニュースの真相に覆面メンバーが迫ります。

 本紙デスク 原節子さんが9月5日に亡くなった。悲報が伝えられたのは、2カ月半以上たった先月25日。最期まで伝説の女優だった。

 ワイドデスク 引退したのが1962年。42歳で表舞台から消えた。53年も前だから現役時代を知る記者がいないし、基本的な情報も頭の中にないから苦労したよ。

 週刊誌記者 公の場に最後に姿を見せたのが63年。「晩春」(49年)「麦秋」(51年)「東京物語」(53年)と、名作で共にした小津安二郎監督の通夜だった。写真を撮ろうにも、自宅近くに報道陣がいることを感づくと引きこもる一方だったようだ。「外出する時にも必ず裏口からだった」とおいが話していた。徹底していた。

 リポーター 小津監督との深い仲も噂された。

 本紙デスク それも含めて、どうして引退し、どう暮らしていたのか。それが最後まで謎だった。「会いに行けるアイドル」のAKB48のように、一般人とタレントの距離が近くなった現代だけど、原さんは神秘的だった。昭和のスターだった。

 ワイドデスク インターネットで何でも分かる時代だが、取材の重要さをあらためて感じた。

 リポーター 対照的に、水木しげるさんの訃報については、亡くなった数時間後に報道陣が自宅に詰めかけていた。

 本紙デスク 高齢になっても表に出て活動された人だからね。「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ、日本の妖怪物語を作り上げ、怖いはずの妖怪をユニークに描いて、身近に感じさせた。功績は計り知れないね。

 週刊誌記者 第2次大戦で左腕を失ったが、ハンデを全く感じさせなかった。ニコニコとした笑顔で、右手でスラスラと鬼太郎のキャラクターを描く姿は本当に楽しそうだった。

 リポーター アニメとともに戦争の悲惨さを伝える自伝的作品も多く残した。「戦争を描くのは重くつらい」と漏らしていたが、平和を願うからこそ描き続けていたのだろう。

 ワイドデスク 昭和や戦争を語れる人がまた一人逝ってしまったね。

 本紙デスク 原さんは95歳、水木さんは93歳。大往生だった。

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