9・11で思い起こす夏目雅子さん 没後30年 見たかった“極妻”

[ 2015年9月14日 10:40 ]

1984年の結婚発表会見での夏目雅子さん

 「9・11」と聞けば、やはり2001年9月11日の米中枢同時テロを思い起こす人が多いだろう。テロ犯が乗っ取った旅客機ごとニューヨークの国際貿易センタービルに突っ込んでいった衝撃映像は今でも鮮烈に目に焼き付いている。

 その「9・11」からさかのぼることさらに16年。長く映画を担当してきた筆者にとっては1985年の9月11日も忘れることができない。女優の夏目雅子さんが急性骨髄性白血病のため27歳という若さで永眠した日である。

 スポニチも芸能面見開きで悲報を伝えた。「入院7カ月、白血病と知らずに 夏目雅子さん急死」「マイ・フェア・レディやりたい 悲し“復帰の夢”」「モデル、女優、結婚…一瞬に耀いて」といった見出しが付いている。83年公開の映画「南極物語」で共演した高倉健さんも「あまりに突然のことなので信じられません。公私ともに本当にこれからの方なのに…。心からご冥福を祈ります」と追悼のコメントを寄せてくれた。

 今年がちょうど没後30年。追悼本が新たに発売されたり、代表作の上映会が組まれたりと、さまざまなイベントが催された。東京・新宿区の映画館「早稲田松竹」では9月5日から命日の同11日まで特集が組まれ、「鬼龍院花子の生涯」(82年)「時代屋の女房」(83年)「魚影の群れ」(83年)「瀬戸内少年野球団」(84年)の4作品が上映された。これらの作品は初めてブルーレイでも発売された。

 キネマ旬報は「女優 夏目雅子」と題したムック本を発行。宝塚歌劇団を退団し、夏目さんと同じ事務所に入って女優として歩み始めたばかりの北原遥子さんとの2ショットも掲載されている。同じ85年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故で24歳の命を散らした人だ。

 何線だったか忘れたが、たまたま乗った電車の中で夏目さんを見かけたことがあった。和服姿でコミック本を読んでいた。それがまた粋で美しかった。

 「なめたらいかんぜよ」のセリフも話題となった「鬼龍院花子の生涯」の迫真演技で夏目さんはブルーリボン賞主演女優賞を受賞したが、演出した五社英雄監督は、急逝の報に「まだまだやりたいことがいっぱいあって、本人はさぞ悔しかったと思います。かわいそうだとしか言いようがない」としのんだ。監督の娘さんで、五社プロ社長の五社巴さんは「聖母、淑女から悪女まで多面的に演じられる人。夏目雅子さんを父は大好きで、大女優になると確信していました」と語る。

 夏目さんが亡くなった翌年の86年に五社監督は岩下志麻主演で「極道の妻たち」を発表した。これが大ヒットし、東映の看板シリーズになるが、五社監督がメガホンを取ったのは1作目だけ。プロデューサーの意向で、2作目、3作目と監督も女優も変わっていった。

 巴さんによると、五社監督はずっと“極妻”を自分でやりたがっていたという。「父から直接聞いたことはなかったけど、生きていれば夏目雅子さんの“極妻”も頭の中にあったようだと、父に近い人から聞いた覚えがあります」と明かした。存命であれば、まだ57歳。確かに夏目さんの“極妻”も見てみたかった。つくづく佳人薄命を呪ってしまう。

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2015年9月14日のニュース