花紀京さん 思い出の曲「明日があるさ」で出棺

[ 2015年8月8日 05:30 ]

花紀京さん告別式、出棺の際、棺を持つ間寛平(中央)

 5日に肺炎のため大阪市内の病院で亡くなった喜劇俳優・花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三=いしだ・きょうぞう)さん(享年78)の家族葬による告別式が7日、大阪市内の斎場で営まれた。落語家月亭八方(67)や喜劇俳優の芦屋小雁(81)ら約50人が参列。棺には親族からの手紙が入れられた。

 花紀さんが2001年にダウンタウンらと参加したユニット「Re:Japan」でカバーし、NHK紅白歌合戦にも出場した思い出の曲「明日があるさ」のオルゴール版が流れる中の出棺。間寛平(66)やチャーリー浜(72)、内場勝則(54)らが棺を担ぎ、吉本新喜劇を全盛に導いた先達の“最後の花道”に寄り添った。

 参列したタレントの西川きよし(69)は「新喜劇研究生として“通行人A”を演じた時代からお世話になり、礼節を学んだ」と話し、「花紀京流の息と間で誰にもマネできないボケ。笑いのマジシャンでした」と称えた。「舞台では楽しい姿ですが、楽屋には哲学や世界史の難しい本をたくさん置いておられた」と意外な一面も明かした。

 花紀さんとの一番の思い出は、「西川やすし・きよし」として漫才師への転向を決意した時。花紀さんから「新喜劇やめて漫才やるならエンタツに会わな!」と言われ、「エンタツ・アチャコ」として一世を風靡(ふうび)した花紀さんの父・横山エンタツの家に連れて行かれたという。晩年のエンタツの枕元で「2、3時間座ってお話しさせていただいた」と回想。あらためて遺影に向かい、「お父さんに会わせていただきありがとうございました、と申し上げた」としみじみ語った。

 花紀さんは故岡八郎さんとのコンビで、70年代を中心に喜劇界のトップスターとして活躍した。03年5月に自宅で入浴中に意識を失い入院してからは長期療養。今月5日に容体が急変した。

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