船村徹氏記念館完成!大照れあいさつ「ありがたいけど恥ずかしい」

[ 2015年4月28日 05:30 ]

船村徹氏(手前)の記念館完成に駆け付けた(後列左から)増位山太志郎、松原のぶえ、鳥羽一郎、由紀さおり、北島三郎、舟木一夫、森サカエ、大月みやこ、瀬川瑛子

 「王将」「風雪ながれ旅」「みだれ髪」などのヒット曲で知られる作曲家・船村徹氏(82)の記念館が、生まれ故郷の栃木県日光市に完成、27日に開館式典が盛大に開催された。日本の歌謡界を代表する重鎮の晴れ舞台だけに、弟子の北島三郎(78)舟木一夫(70)大月みやこ(69)の歌手ら音楽関係者が大挙して駆けつけて祝福。「ありがたいことですが、(生前に記念館ができて)恥ずかしい」と照れながら感激していた。

 「恥ずかしいから、生きているうちは勘弁してほしい。医者に体を診てもらいに行っても、まだ死なないと言われるし。(記念館が)できる前にあっち(あの世)に行けば良かったが、間に合ってしまいまして。生きている間、お世話になります」

 独特の栃木なまりの船村氏のユニークな謝辞に、約400人収容できる多目的ホールを埋めた式典参加者は爆笑に包まれた。歌謡界の重鎮だけに怖いイメージだが、無類の照れ屋らしいあいさつは本音だった。

 旧制中学まで栃木・今市(現・日光市)で育ち、人気作曲家になった後も今市に楽想館という仕事場を持ち、常に故郷を意識して生きてきた。日光市は11年に市街地活性化計画を立て、日光街道に面した中心地約2800平方メートルの敷地に「道の駅 日光」に併設する形で「ニコニコ本陣 日本こころのうたミュージアム・船村徹記念館」建設を計画。5年がかり総事業費37億円をかけて完成させた。

 館内には3D映像で船村氏ゆかりの歌の映像を見られる「夢劇場」や、「歌道場」と称したカラオケ施設で船村氏の業績を体験できるほか、歌謡ファン待望のコーナーが設けられている。

 式典には、早朝から約3000人の市民が詰め掛けて見学。テープカットを行った北島は「お師匠さん(船村氏)に連れられてよくここ(日光)にお邪魔した。ニコニコ本陣の名前がいい。みんなが笑顔になれる」と語った。

 3年間の内弟子生活時代に「デレスケ(北関東の方言で、ばかものの意)」とよく怒られたという鳥羽一郎(62)も「箸の持ち方から人生の全てを教えられた」と恩師に感謝し、「聖地」の誕生を祝福していた。

 ≪先生おめでとう!≫
 ▼舟木一夫 やんちゃだった自分は、先生に叱られながら歩んでこられた。皆さまの宝物として記念館を大事にしてください。

 ▼大月みやこ デビュー20年目に船村先生に「女の港」を作っていただき、歩む道をつくってもらいました。

 ▼由紀さおり 歌供養に参加させてもらうようになって、あらためて船村作品の迫力を実感しています。

 ▼瀬川瑛子 先生に刑務所慰問に連れて行っていただき、本当に勉強になりました。

 ▼松原のぶえ こうして歌っているのは、北島のお父さんと船村のお父さんと「2人のお父さん」のおかげです。

 ▼増位山太志郎 20年間歌えなかったが、船村先生が横綱審議委員会委員となり作品を作っていただいたおかげで再び歌えるようになった。

 ≪古賀政男氏は代々木上原に≫著名な作詞、作曲家の記念館は、東京・代々木上原にある、国民栄誉賞を受賞した作曲家の古賀政男音楽博物館が有名。やはり国民栄誉賞を受賞した作曲家・吉田正さんの記念館は没後6年後の04年に茨城県日立市に建設された。作詞家の星野哲郎さんは07年に故郷の山口県周防大島町に、作詞家の阿久悠さんの記念館は11年に母校・明治大学駿河台キャンパス内につくられた。

 ◆船村 徹(ふなむら・とおる)本名福田博郎(ふくだ・ひろお)1932年(昭7)6月12日、栃木県生まれ。東洋音楽学校ピアノ科卒。1953年に作曲家デビュー、55年に「別れの一本杉」の大ヒットで世に出る。「王将」は戦後初のミリオンセラーに。書き上げた作品は5000曲以上。日本作曲家協会の元会長。95年に紫綬褒章、2002年に栃木県県民栄誉賞、03年に旭日中綬章を受章。08年には文化功労者、昨年は栃木県名誉県民に選ばれた。

 ▽船村徹記念館 鉄筋コンクリート3階建て。1階の「夢劇場」では、船村氏の生い立ちや活躍が最新の映像技術で紹介される。2階には「王将」「みだれ髪」「兄弟船」などの船村作品が流れるメロディーボックスがある。3階には島倉千代子さんら著名人の手形などの展示スペース、入場者が歌う姿をDVDに収録できるカラオケボックス「歌道場」が設けられている。

続きを表示

この記事のフォト

2015年4月28日のニュース