安寿ミラが振り返る阪神大震災「絆」が取り戻してくれたサヨナラ公演

[ 2015年1月17日 08:30 ]

阪神大震災を振り返った安寿ミラ

 阪神大震災は17日、発生から20年を迎えた。元宝塚歌劇団の花組トップスターで女優の安寿ミラ(54)は当時、兵庫県宝塚市でのサヨナラ(引退)公演中だった。劇場が甚大な被害を受けたため、公演は中止になった。節目の年、安寿は劇場を訪れ、激動の日々を振り返った。

 宝塚大劇場を前に安寿は「この辺も随分変わりましたね」と語った。

 1995年1月17日早朝、劇場近くの自宅マンション5階で大きな揺れを感じ、飛び起きた。劇場の楽屋に行くと「足の踏み場もないぐらいグッチャグチャ」だったという。1月1日に始まり、2月13日まで予定されていた「サヨナラ公演」の続行は諦めるしかなかった。

 サヨナラ公演につきものの「最後の大階段」も「サヨナラパレード」もなくなった。「今思えば、凄く悲しかったんだろうな、とは思います。自分の人生を懸けていた場所の最後で“これか…”と。ただ、天災ですから誰に文句を言えるわけでもない。凄く不思議な感じだった」という。

 “絆”が安寿の窮地を救った。歌手の細川たかし(64)が、3月に行う大阪・劇場飛天(現梅田芸術劇場)の1カ月公演を半分削り、サヨナラ公演用に日程を譲ってくれた。さらに、同時期にトップだった一路真輝(50=雪組)、天海祐希(47=月組)らが「自分たちの公演日程を減らしてもヤンさん(安寿)に」と劇団に直談判。全国のファンからは自発的に署名活動が起こり、震災から約4カ月後の5月4、5の両日、念願の宝塚大劇場で「サヨナラショー」が実現した。

 5日には、まだ周囲の至る所が更地だった劇場周辺に約4000人ものファンが集まり、サヨナラパレードも実現した。「自分1人では何も動かせない、ここまでできなかったと思うと、お顔も知らない方々の支えを心から感じました」と振り返った。

 それまで「退団後は芸能活動をしない」と決めていた。しかし、一度は「諦めた夢」が見知らぬ人や周囲の後押しで実現。「何か恩返しできることはないだろうか?と本気で思ったんですね。その方々のところに訪ねていってお礼を言うことも考えましたが、一番は私の舞台姿を皆さんに見せることではないか、と」と、女優として芸能界での再出発を決意した。

 人との絆を強く感じる心は20年たっても薄れることはない。「これはタカラジェンヌだけではないけれど、どんな時も“感謝”の気持ちを忘れないでやらなきゃいけないなって思います」としみじみ語った。

 ◆安寿 ミラ(あんじゅ・みら)1960年(昭35)3月30日、長崎市生まれ。80年に宝塚歌劇団に入団。花組に配属。ダンスの名手としてならし、91年「スパルタカス」でトップスターに。95年「哀しみのコルドバ」で退団。翌年「レイディ・イン・ザ・ダーク」で舞台復帰。女優のほか振付師「ANJU」としても活躍。

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