健さん 晴れがましい場所が苦手…「不器用ですから」が代名詞に

[ 2014年11月18日 12:26 ]

映画「あなたへ」完成披露試写会で、ビートたけし(右)の話に耳を傾ける(左から)高倉健さんと田中裕子(12年8月撮影)

高倉健さん死去

 1955年のデビューから、半世紀以上にわたって日本映画界をけん引してきた高倉健さん。2006年に映画俳優で初となる文化功労者の知らせを聞いた時は「責任が重いな…」とつぶやいたという。

 また、文書でコメントを発表し「映画俳優という職業を認めていただけたこと、嬉(うれ)しく思います。きょうまで続けてこられて本当に良かったと思えることが、最近になって次々起きます。不器用な自分が映画俳優という、この仕事を通して、別れに涙するほど、素敵な人たちに出逢(あ)うこともできました。自分の信じる道を、これからも歩み続けます」とつづっていた。

 日本を代表する名優でありながら、1984年に放送された日本生命のCMでのセリフ「不器用ですから」が代名詞になるぐらい、晴れがましい場所が苦手だった。

 2005年には出演の中国映画「単騎、千里を走る。」が東京国際映画祭に招待され、チャン・イーモウ監督に敬意を表してレッドカーペットを歩いたが、「もう2度とやりたくない」と苦笑い。今回の文化功労者にも「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などで前面に出ることを避けていた。

 2013年に森光子さん(享年92)以来、歌舞伎を除く演劇・映画・放送の俳優として8年ぶりに文化勲章を受章した時にも「今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」と抱負。「映画は国境を越え言葉を越えて、“生きる悲しみ”を希望や勇気に変えることができる力を秘めていることを知りました」と、映画の影響力の大きさをあらためて強調していた。

 俳優生活58年で205本の映画に出演。かつてはヤクザ映画の看板スターとして「網走番外地」「昭和残侠伝」シリーズなどに主演。任侠スターからの転機になった「幸福の黄色いハンカチ」(77年)でも、殺人罪で服役した男を演じた。こうしたことを踏まえ「(映画では)ほとんどは前科者をやりました」と振り返り「そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて、一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだなと素直に思いました」と笑顔を見せていたのが印象的だった。

 故江利チエミ夫人の墓参は毎年欠かさず、今年8月には「網走番外地」で世話になった石井輝男監督の墓に「安らかに」の墓碑を贈るなど義理人情に厚い素顔は、誰からも好かれた。

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