矢沢永吉「マイク握って死にたい」 8日から全国ツアー

[ 2014年5月8日 17:39 ]

鏡張りのスタジオでポーズを決める矢沢永吉

 歌手の矢沢永吉(64)が約40年ぶりにロックバンドを結成し、8日から全国ツアーを敢行する。インタビューで直前の心境を聞くと「ライブができること、それがうれしくて、いとおしい」と明かした。かつて“成り上がる”ために音楽を選んだ男は、いま「マイクを握って死にたい」という。9月で65歳になるロック界のレジェンド。年老いてなお、新たな扉を開いた境地に迫った。

 1975年4月、伝説のバンド「キャロル」が東京・日比谷野音のステージが炎上する中で解散してから40年目。矢沢は30歳以上離れた若いミュージシャンたちと新バンド「Z’s」(ゼッツ)を結成した。

 「何か面白いことヤリたいなあって。じゃあ、年の離れた若いヤツらとバンド作っちゃおうと。ただの思いつきです」と笑って明かした。

 これだけの大物が「単なる思いつき」で始めちゃう、この行動力こそが日本のロックを黎明(れいめい)期から40年以上けん引してきた原動力だ。「これからのヤザワは“思いつき”で行くんで。面白ければ、楽しければ、ドキドキしたらいいよねって。これがヤザワの今後のスタンスだと思うのよ、絶対に。この年になってくるとさあ、面白いとかドキドキすることとか、それすらも思いつきもしなくなるわけでしょ。だから、思いつきはグレートなんだよ!」。

 インタビュー冒頭からハイテンション。若い仲間とライブができる喜びが、どうにも抑えきれない様子だ。メンバーは自身のホームページで公募。約1000人の応募者には中高生や外国人もいた中、29~36歳の日本人男性3人を選んだ。

 「今年9月で65歳になるヤザワがですよ、2回りも3回りも年下のヤツらと一緒にバンドを組んじゃうわけよ。またコイツらがさあ、青いのよ。その青さがいいのよ。キラキラしてんのよ」とうれしそうに明かす。若いメンバーの姿に、自身が18歳の時に「音楽で食えるようになりたい、成り上がりたい」と夜汽車で広島から上京した当時を思い出すことがあるという。

 「彼らも、このチャンスを二乗三乗にしていきたいと思っているんだろうね。でも女の子にキャーキャー言われて喜んでいるうちは学芸会か文化祭。お客さんからカネもらうっていうのは、ちょっと違うとこなんだよって。ビシバシしばいて教えますよ」

 ツアーを前に教えたのは「ふてぶてしさという鎧(よろい)をかぶれ!」。ステージに「見てくれますか?」という感覚で立ったら「客に食われる」と言う。

 「俺を見ろ!という、ふてぶてしさを身につけろという意味。彼らはフランス語でも聞いているかのような理解不能な顔してたね(笑い)。でもツアー始まって2、3本やったら分かってくる。ああ、これか!ってね。俺からギャラもらってノウハウ学べて最高だと思うよ。でも、僕も彼らとやることによるキラキラした感覚をちゃんと頂戴いたしますよ」 

 秋のツアーと年末の日本武道館公演が恒例の矢沢にとって、春にツアーを行うのは21年ぶりだ。

 「いつもこの時期は酒飲んでるし、レコード作っているか、ミックスダウンしているか、表には出ない時期でした。でも、こりゃイカンと思うようになってね。スパンが長すぎるのよ。若い時はいいけど、60歳過ぎたら体を維持するには5月ごろに10本でも20本でもライブやった方がいい。人前に出た方がいいのよ」

 最近は「眠くなったら10時でも寝ちゃう」という。ツアーの2カ月前から酒量も控えている。

 「ライブ頑張るぞぉ、いいなあ、ドキドキするなあ、若いコイツらとやるんだって考えるとうれしくてね。体をキープするために食事も意識し、ストレッチも意識してやっていますよ」

 かつてはハワイに別荘を買い、ロサンゼルスに豪邸を構え、オーストラリア・ゴールドコーストに高層ビルを建設する土地を購入したこともあった。「40代までは音楽以外にもドキドキするものないかなと探したけど、結局そんなにたくさんのことをうまくできるもんじゃない。人間なんて不器用で、僕もその一人。この年になって行き着いたのは、ライブやれるっていいよねってこと。こんな当たり前のこと昔から分かっていたけど、何て言うのかなあ。質感が違うのよ。そう、いとおしいのよ!」

 だから、そのために何をすべきかを考える。「いいステージをやりたい、それが一番の目的になる。この年になると、何が俺にとって大事なのかはっきりと分かる。だから眠けりゃ寝るし、2時間半のステージをしっかりやるためのトレーニングを欠かさずやる。そして日頃から歌い込む。バチッと最後まで歌える人であり続けたい、それだけです」

 「成り上がる」ために歌い始めた男が「ステージがいとおしい」という心境に至るまでには、オーストラリアで35億円という巨額の詐欺被害に遭うなど、多くの失意と苦難があった。

 「それも俺のライフには全部必要なことだったんだと、今では言える。でもさあ、あの時はこんなこと、とても言えなかったよ。俺、ワナワナ震えてたもん。いつかこれが笑い話になれば、そこまで頑張りたいと思ったけど、こうして今じゃホントに笑えるようになった。今もロックシンガーやらせてもらってるってことは、嫌われてはいなかったのかな。捨てられてはいなかったんだね」

 65歳を目前に至った境地。「自分の不器用さとか間口の狭さとかそういうことは別にして、自分にはやるべきことがあるという幸せを大事にしたいんだ。だって俺にはやることがあるんだもん。永ちゃん、ツアー待ってるよ!という手紙がバンバン来ててさあ。これが目的じゃなくて、何が目的なのよ。そしたら、よし行くぞ!ってなるでしょ。これなんだよ。分かる?分かるでしょ!この年になってくるとさあ、これなのよ。これがあるか、ないかなのよ」

 キャロル解散後の75年9月。ソロデビューアルバムの1曲「サブウェイ特急」で、矢沢は「畳じゃ死なねえぞ!」と歌った。あれから40年。

 「今は心底そう思う。新聞記者も5年後にやめられる?やめられないでしょ!ペン持って死にたいし、マイク握って、鍵盤持って死にたいよ。年とるとね、はっきりと分かってくるんだ。いとおしいもの、本当に大事なものがね。俺には歌一個あった。ラッキーだった。本当によかった。その境地で若いヤツらと街から街への旅に出るんだ。これよ、これ!」

 夢や欲求に忠実で打算を嫌って生きてきた男が、ひらめくままに行き着いた境地。それは若かりし頃に手に入れたどんなドリームよりも、キラキラと輝いて見えた。

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