細野晴臣悲痛「彼に詰まっていたポップスの宝庫はどこへ」

[ 2014年1月1日 05:30 ]

1972年10月、「はっぴいえんど」時代の(左から)大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆

大瀧詠一さん急死

 大瀧詠一さんの急死に、音楽界に衝撃が走った。「はっぴいえんど」の元メンバー細野晴臣(66)は「彼の中に詰まっていたポップスの宝庫はどこに行くのか…」とあまりに早すぎる死を悼んだ。31日はNHK紅白歌合戦の本番で、会場のNHKホールでは「冬のリヴィエラ」の提供を受けた森進一(66)らが、突然の悲報に絶句した。

 細野は、大瀧さんが岩手県から上京してすぐに知り合った最も古い友人の一人。1970年に大瀧さん、作詞家の松本隆氏(64)とロックバンド「はっぴいえんど」を結成した。同バンドは、ロックに日本語の歌詞をつける「日本語ロック」と呼ばれるカテゴリーを構築。大瀧さんは、日本のロック、ポップスが欧米の音楽に負けないものになる礎を築くために、細野らと曲作りに励んできた。

 “戦友”の急死を聞いた細野は、取材に文書で「最初は誤報だと思っていましたが、とてもショックです。大事な音楽家を失ってしまった。残念にもほどがある、という思いです。彼の中に詰まっていたポップスの宝庫はどこに行くんでしょうか」と悲痛な思いを絞り出した。

 また「ずっとソロアルバムを作っていなかったのが気になり、11月中旬に“みんなで手伝うからソロを作ろう”とメッセージを入れたのが最後です」と明かした。

 関係者によると松本氏や、大瀧さんがプロデュースしたバンド「シュガー・ベイブ」に所属していた山下達郎(60)は「とてもコメントを出せる状態ではない」という。同バンドのボーカルだった大貫妙子(60)は「アルバムは作らないのですか?と尋ねると、いつも“そんなにどんどん作っても、しょうがないじゃない”と言いました。それが大瀧さんが残した数少ない珠玉のアルバムであり、わたしたちへのメッセージ」としのんだ。

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2014年1月1日のニュース