街を、人を変えた「あまちゃん」 高校生海女の13年は…

[ 2013年12月9日 05:30 ]

 NHKの朝ドラから生まれた「あまちゃんブーム」。舞台となった岩手県久慈市で、観光客を前に実際に海に潜っていた「高校生海女クラブ」の4人に、肌で感じたドラマの波及効果と“あまちゃんの町”の未来を語ってもらいました。

 ドラマが9月に終わり、冬を迎えた久慈市。日が沈むと、中心部でさえ人けはなく、静けさに包まれる。“あまちゃんビル”として知られる久慈駅前ビルも来年度の解体が決まった。しかし辺りを見渡せば「あまちゃんのロケ地です」と、ポスターや立て看板が躍る。熱気の証が確かに残る。

 集まってくれた海女クラブの4人も、活気に満ちていた。「アキちゃんだ!ってよく声をかけられました!」。女子高生らしくはしゃぎながら、この1年の“潮騒のメモリー”を笑顔で語る。クラブは約8年前、市観光物産協会が始めた。ドラマの主人公アキと同じハチマキ、かすりはんてん姿の女子高生が、名産品の販売など観光PRを行う。夏場は、劇中でアキも潜った小袖海岸(同市宇部町)で観光客を前に素潜り漁に挑む“リアルあまちゃん”だ。

 昨年も参加した高校2年の中川沙耶さん(17)は「今年できた小袖への直通バスは、いつもすし詰め」と回想。同じく2年目の高校2年、中野百瑛(もえ)さん(17)も「たくさんの都会のお客さんが、凄い、凄い!と見てくれた」と地元の“じぇじぇじぇ”な過熱ぶりを語る。自分たちもまた、ドラマにくぎ付けになった。「去年まで、普通にド田舎としか思えなかった」(中川さん)という故郷の何げない風景や地味な漁港が、画面の中で見違えるような輝きを放つ。

 ドラマに影響されクラブに入ったという高校1年の日ノ沢穏(やすき)さん(16)は「卒業したら一刻も早く東京に脱出したいと思っていたけど、久慈のことが好きになれました」という。 初体験の素潜りで、日ノ沢さんはおぼれてしまった。「でもその後、海女さんが一生懸命助けてくれて、できるようになったんです」。その時、観光客から掛けられた「頑張ったね」の声が忘れられないという。

 ドラマは久慈市全体を明るい雰囲気に包んだ。つらい東日本大震災の体験から、前を向くきっかけをもらった人もいる。高校1年の小田彩さん(15)は両親の職場が全壊した。「茶色い波が押し寄せ、次の瞬間湾の水がなくなった。かと思うと大きな波が来て、湾が渦潮のようにうねった」と脳裏にこびりつく恐怖の光景を語る。

 金銭面から、進学の夢にも影が差した。学費の足しにしようと海女クラブに加入したが、他のメンバーは「最初は暗く、無表情だった」と振り返る。でも活動を通じ「今はいつも笑っている」と周囲から言われるようになった。

 小田さんは「悩みを内に閉じ込めてしまっていた。でも海女クラブの盛り上がり、周りの温かさで元の自分に戻っていけた」と感謝。その明るい表情は、アキと重なる。

 中野さんは「他の地区に比べ何にもないけど、人のつながりがメッチャ強いのが、久慈の何よりいいところ。ドラマでもそこが描かれて、今年はこの町の温かさをあらためて実感できた」と話す。

 海女クラブは今や「ご当地アイドル」状態。劇中よろしく、地元鉄道の車内でイベントを行うなど活動の幅を広げる。でも「自分の手でやってる感じじゃないし…」と、中川さんは満足していない。「ブームに乗った形でなく、今度は私たちの力で、久慈の未来を築いていきたい」と話す。

 小田さんは「大学に行けたらバイオテクノロジーを研究して、久慈だけでとれる名産品を育てたい」という夢を教えてくれた。他のメンバーの夢はモデル、音楽グループなど多彩だが「将来は久慈をもり立てたい」という思いは共通。「あまちゃんがなければ、こんな気持ちにならなかった」と中川さんは言う。

 あまちゃん狂騒曲は、一区切りを迎えた。だがこれからは、ドラマをきっかけに生まれた大勢の“アキ”が、愛すべき故郷をさらに輝かせる。

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2013年12月9日のニュース