石川さゆり弔辞「生涯を歌い手として見事なまでに全う」

[ 2013年11月15日 05:30 ]

弔辞を読む石川さゆり

島倉千代子さん 葬儀・告別式

(11月14日 東京・青山葬儀所)
 島倉さん、こんな別れの言葉を述べさせていただく日が来るなんて思ってもいませんでした。「さゆり、しっかりしろ」っていう声が聞こえるようです。頑張ります。

 私が歌い手になったのも小学生の1年生の時、熊本で島倉さんのステージを拝見して夢を見たからです。歌い手としてデビューしたころ、私はお化粧も何もできない子供でした。「さゆり、ちゃんとお化粧するのよ」と、付けまつげも付けてくださいました。

 島倉さんが「コロムビアレコードには美空ひばり先輩、島倉千代子、都はるみ、そして、さゆり。あなたもこの先輩からの流れを自覚して頑張るんだよ」っておっしゃいました。初めて紅白歌合戦に出場したときも、エンディングの「蛍の光」を歌うとき、横で手を握って「来年もここで歌うんだよ」って言ってくださいました。それは、私の大きな励みになりました。優しい島倉さんでしたが、時に厳しかったです。仕事を丁寧に一生懸命やること。礼儀正しくあること。一緒のお仕事のときに島倉さんより早く仕事場に入ろうと思って2時間前に入ったら、もうすっかり支度を済ませていらしたときには驚いてしまいました。

 昨年の年末、仕事場でお会いしたとき「お体の具合はいかがですか?」と言ったら「私も年だからね」っておっしゃっただけで、ご病気のことはひと言もおっしゃいませんでした。島倉さんのこの悲しい知らせを聞いて、都はるみさんにお電話をしました。はるみさんは「島倉さんは心が砕けるようなことをたくさん耐えていらしたんだよ」とおっしゃいました。きょう、はるみさんは大阪でお仕事です。「島倉さんによろしくね。よろしく伝えてね。大阪からいっぱい祈っています」と言付かりました。

 生涯、歌い手としてあることは、言葉で言うほどたやすいことではないと思います。でも島倉さんは、生涯を歌い手として見事なまでに全うされました。歌への情熱、表現者としての夢を、どんなときも決して失ってはならないこと。私たち後輩へ強く示されたのだとあらためて思いました。でも、本当に寂しいです。もっともっと、お元気で歌っていてほしかった。優しく、ときに厳しくしかってくれる人がいなくなってしまいました。

 私の初代マネジャー佐々木国雄さんは、若いころ島倉さんのマネジャーでもありましたよね。佐々木さんも今年の1月に、天国へ行ってしまわれました。いまごろ「お疲れさまでした」と言いながら、お迎えに出ていらっしゃるかもしれません。島倉さん、本当にありがとうございました。そしてこれからも私たち後輩を空高くから見守っていてください。

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2013年11月15日のニュース