「愛の賛歌」「君といつまでも」作詞 岩谷時子さん逝く

[ 2013年10月29日 06:00 ]

「岩谷時子音楽文化振興財団」の設立記者発表会を行った岩谷時子さん

 越路吹雪さんが歌った「愛の賛歌」や、加山雄三(76)の「君といつまでも」などのヒット曲で知られる作詞家の岩谷時子(いわたに・ときこ=本名トキ子)さんが25日午後3時10分、肺炎のため都内の病院で死去した。97歳。ソウル生まれ。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。マネジャーとして越路さんをスターに育て上げ、訳詞家、作詞家としても数々の名曲を残した。

 岩谷さんは体調を崩し肺炎となり、24日に入院。見舞った関係者は「普段と変わらない様子だった」。だが、翌25日に容体が急変し、帰らぬ人となった。みとったのは病院の看護師1人。静かに天に召されたという。

 大病を患ったことがなく、90歳を過ぎても元気に暮らしていた。関係者は「元気なうちは、自身が訳詞したミュージカルの観劇にも出かけていた。今回も少し病気しただけで亡くなるとは思わなかった」と驚いていた。

 ソウルで生まれ、兵庫県西宮市で育った。39年に宝塚歌劇団出版部に就職し、15歳の越路さんと出会い意気投合。「歌手になりたい」と言う越路さんのために、51年、宝塚を退職。2人で上京し、東宝文芸部で働きながら、マネジャーとして支えた。その関係は越路さんが80年に死去するまで30年続いた。「越路が好きだから」との理由で、マネジメントの報酬は受け取らなかった。

 54年、エディット・ピアフの「愛の賛歌」に日本語詞をつけることになり、急きょ越路さんの日記などをモチーフに仕上げた。これが訳詞家、作詞家としての始まり。越路さんとのコンビで、「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」などヒットを連発した。

 作詞家としても才能を発揮。ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、郷ひろみ(58)の「男の子女の子」など数多くを手掛けた。ミュージカルへの造詣も深く、「王様と私」「レ・ミゼラブル」など現在も人気の演目の訳詞も担当した。

 音楽プロデューサーで、岩谷時子音楽文化振興財団の理事を務める草野浩二氏は「女学校の先生のように上品でした。それなのに、曲には、夜明けのコーヒーふたりで飲もう、ベッドで煙草(たばこ)を吸わないで――という言葉も出てくる。どこから生まれてくるんだろうと不思議でした」。

 生涯独身を貫いた岩谷さん、きっと歌の中でいくつもの素敵な「恋」を重ねていたのだろう。

 ◆岩谷 時子(いわたに・ときこ)1916年(大5)3月28日、京城(現ソウル)生まれ。神戸女学院大卒業後、宝塚歌劇団出版部に就職。機関誌「歌劇」の編集長を務める。51年に東宝文芸部に移籍。同時に越路吹雪さんのマネジャーとなる。93年、勲四等瑞宝章受章。09年、文化功労者顕彰。同年、一般財団法人「岩谷時子音楽文化振興財団」を設立し、10年に岩谷時子賞創設。

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