森光子さん大往生 芸能界の“お母さん”10日に静かに逝く

[ 2012年11月15日 06:00 ]

10日に死去した森光子さん

 舞台「放浪記」やホームドラマ「時間ですよ」などで幅広い人気を集めた女優の森光子(もり・みつこ、本名村上美津=むらかみ・みつ)さんが10日午後6時37分、肺炎による心不全のため都内の病院で死去した。92歳。京都市出身。14日に近親者のみで密葬を行った。本葬は後日営まれる。09年7月、女優では初の国民栄誉賞を受賞。10年2月、ドクターストップにより「放浪記」の2カ月公演を中止してからは都内の自宅で静養に努め、入退院を繰り返していた。

 日本中から愛された大女優の人生が幕を閉じた。

 おいにあたる柳田敏朗氏は午後7時ごろ、マスコミ各社にファクス文書で「生前からの本人の希望でしたので、家族だけで本日(14日)密葬を相済ませました」と報告。森さんはこれまでも栄養管理のために短期間入院することがあり、今回も大事を取って9月から入院。最期は静かに眠るように息を引き取ったという。生涯を振り返り、「大変幸せな人生だったと思います」とつづった。

 森さんは10年1月から2月上旬にかけて滝沢秀明(30)との共演舞台「新春人生革命」に出演。2月6日の千秋楽後に会見し、5~6月に予定していた「放浪記」に強い意欲を見せていた。しかし、2月26日に製作の東宝が会見し、森さんにドクターストップがかかったとして公演の中止を発表。本人は会見に姿を見せなかった。

 その後、雑誌のインタビューや、テレビに録画で出演。並行して都内の自宅で定期的にトレーナーの指導を受け体力強化し舞台復帰への執念を見せた。テレビ出演は、10年8月11日にNHKで放送されたドキュメンタリー「“わらわし隊”の戦争」にVTR出演したのが最後だった。

 親しい知人によると、今年に入ってから衰弱が目立ち、数カ月前にも危険な状態に。持ち直した後は、見舞いに訪れた友人と昔話をするなど元気な様子だったが、10日に体調が急変。事務所スタッフが見守る中、眠るように旅立ったという。

 森さんが第一線の女優の仲間入りをしたのは、意外にも40歳を過ぎてから。戦前から戦後にかけて大阪を拠点に映画女優として活動。58年、朝日放送でお笑い番組の司会をしていたところを演出家の菊田一夫氏に見いだされ、上京。61年、菊田氏作・演出の舞台「放浪記」に主人公の作家・林芙美子役に抜てきされた。これが当たり役となり、09年5月まで計2017回を数えた。代役を立てずに主演し続けた舞台としては、山本安英さんの「夕鶴」(1037回)を抜いて、記録を更新中だった。同作で森さんが見せた“でんぐり返し”も07年11月に封印するまで、最大の見どころとして観客を楽しませた。

 テレビでもTBSドラマ「時間ですよ」のおかみさん役で人気を集め、「ひと味違います」でおなじみだった「タケヤみそ」のCMは40年以上続いた。少年隊の東山紀之(46)らジャニーズ事務所のアイドルとも親交があり、その幅広い交友と面倒見の良さから、芸能界の“お母さん”と慕われた。

 ◆森 光子(もり・みつこ)本名村上美津。1920年(大9)5月9日、京都府生まれ。小学6年の時、いとこの嵐寛寿郎の映画「春霞八百八町」で女優デビュー。戦時中は前線慰問、戦後は米軍キャンプでジャズ歌手としても活動。このころ肺結核で片方の肺を失う。舞台は「放浪記」のほか「おもろい女」「雪まろげ」など、映画は「映画女優」「川の流れのように」などに出演。NHK紅白歌合戦の司会も3回務めた。05年に文化勲章、09年に国民栄誉賞が贈られた。血液型B。

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