若松孝二監督が死去 12日に車にはねられ入院…

[ 2012年10月18日 06:00 ]

車にはねられ、17日に死去した若松孝二監督

 1960~70年代に暴力や政治、エロスをテーマとする作品を量産し、全共闘世代に支持された映画監督の若松孝二(わかまつ・こうじ、本名伊藤孝=いとう・たかし)氏が17日午後11時5分、東京都内の病院で死去した。76歳。宮城県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。今月12日にタクシーにはねられて重傷を負い、緊急入院していた。

 若松監督は12日午後10時10分ごろ、東京都新宿区内藤町の都道を横断しようとしたところをはねられ、頭や腰を強く打つ重傷を負った。警視庁四谷署によると、現場は片側2車線の直線道路。横断歩道のない場所だったといい、同署が事故の原因を調べている。

 救急車で搬送された病院では当初、意識があり、自分で電話をして娘に事故を伝えたという。2時間後に意識が薄れ、ICUに入った。その後、娘や仲間の映画監督が付き添ったが、回復しないまま、息を引き取った。

 関係者によると、入院した時点で腰の骨は砕けていたという。

 来年初春には最新作「千年の愉楽」の公開を控えていた。若松プロダクション(東京都渋谷区)で対応した女性スタッフは「詳しい状況は聞いておりません。現段階で映画の公開予定に変更はありません」と話した。

 若松監督は農業高校を中退後に上京し、テレビドラマの助監督を経て63年に成人向け作品「甘い罠」で監督デビュー。“ピンク映画の黒澤明”と呼ばれた。65年に若松プロダクションを設立し、足立正生、山本晋也両監督ら多くの才能を輩出した。「壁の中の秘事」(65年)、「犯された白衣」(68年)などの作品を重ね、大島渚監督の「愛のコリーダ」(76年)ではプロデューサーを務めた。

 80年代以降に一般映画に進出。「水のないプール」(82年)、「われに撃つ用意あり」(90年)、「寝盗られ宗介」(92年)など話題作を次々と手掛けた。02年3月に肺がんの摘出手術を受け、04年に「赤い殺意」で7年ぶりにメガホンを取った。社会派作品の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(07年)は08年のベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞など、国内外で数々の賞を受賞。10年には「キャタピラー」に主演した寺島しのぶ(39)が同映画祭で最優秀女優賞を受賞した。

 今年5月には「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(6月公開)が第65回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」で公式上映され、現地で高評価を受けた。今年のベネチア国際映画祭に出品した「千年の愉楽」が最後の作品になった。

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