病室に台本、最期まで女優魂…“日本の母”馬渕晴子さん死去

[ 2012年10月4日 06:00 ]

馬渕晴子さん(提供写真)

 映画やテレビドラマの母親役などで活躍した女優の馬渕晴子(まぶち・はるこ、本名井上明子=いのうえ・はるこ)さんが3日午前9時51分、肺がんのため東京都品川区の病院で死去した。75歳。東京都出身。故人の遺志で近親者のみで密葬を行う。喪主は長男の雄介(ゆうすけ)氏。「遺灰は海にまいてほしい」と遺言していたという。

 さまざまなタイプの“日本の母”を巧みに演じ分けた馬渕さんが静かに逝った。94年に59歳で先立った夫の俳優井上孝雄さんのもとへの旅立ち。遺体は午後5時すぎに世田谷区の自宅に戻り、居間に安置された。

 自宅前で対応した妹によると、3年ほど前に初期の肺がんが見つかり、病巣にピンポイントで放射線を当てる重粒子線治療を受けた。効果が出て体調も戻り、仕事も普通にこなしていた。今年2月には映画「ばななとグローブとジンベエザメ」の撮影に参加。来年1月の公開を楽しみにしていたが、残念ながらこれが遺作となってしまった。

 9月16日に体調不良を訴えて入院。亡くなる前日まで意識はしっかりしており、食欲も旺盛で病院食以外に肉も食べていたという。息子2人が交代で看病したが、たまたま2人とも仕事に出掛けたタイミングで容体が急変。臨終は他の親族と友人ら約10人がみとった。

 妹によると、NHKから出演依頼が入っていた。5月に100歳で永眠した新藤兼人監督の生涯をドキュメンタリー風に描くドラマで、杉村春子さん役をオファーされたという。「“ぜひ出たい”と張り切っていましたが、入院でやむなく断念。それでも諦めきれなかったのでしょう。病室に台本を持ち込み、歩いたり体力づくりにも余念がありませんでした」と明かした。しかし、その一方では覚悟するところもあったのか、「(葬儀は)身内でひっそりと。遺灰は海にまいてほしい、とも話していました」

 1954年に日活「女人の館」で映画デビュー。57年にNHK専属となり、冨士真奈美(74)、故小林千登勢さんと共に「NHK3人娘」と呼ばれて活躍した。60年1月の井上さんとの結婚、出産で一時芸能界から遠ざかったが、66年のTBSドラマ「記念樹」で復帰。その後、黒木和雄監督の「祭りの準備」(75年)や神山征二郎監督の「遠き落日」(92年)で母を演じ、NHK朝のテレビ小説「雲のじゅうたん」や「甘辛しゃん」でも存在感を示した。77年には「アサヒカメラ」の企画「おんな四十歳」で日本人女優として初の本格的ヌードを披露し、話題を呼んだ。

 ▼冨士真奈美 本当にがっかりしています。1週間前に見舞った時は冗談も言って、とても美しかったのに。NHK専属3人娘として、小林千登勢と3人、楽しい青春時代でした。オハルは品が良く毅然(きぜん)としていて、その勇気と大胆さに、時に驚かされました。敬愛する大好きな友が逝ってしまった…残念の極みです。

 ▼芳本美代子 この度は突然の訃報に驚いております。2年前に2人舞台「精霊流し」でご一緒させていただきました。その時にはすでに病気を患っていらっしゃいましたが、稽古・本番と全く周りに感じさせないほどお元気で、反対にこちらがパワーをいただいたほどでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

 ◆馬渕 晴子(まぶち・はるこ)1936年(昭11)11月2日、東京都生まれ。高校3年の54年に日活にスカウトされて映画界入り。59年、NET(現テレビ朝日)「あの波の果てまで」で一躍茶の間の人気者に。黒木和雄監督「TOMORROW/明日」、市川準監督「会社物語」などで母親役を演じ、評価を受けた。ほか映画の代表作に増村保造監督「妻は告白する」(61年)、橋浦方一監督「星空のマリオネット」など。

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