芸能人だから集まってもらえる…「小林幸子」の名で被災地支援

[ 2012年3月5日 11:09 ]

避難所で歌う小林幸子

 「あの時に自分のふるさとが世話になったのだから、返そうと思う。お互いさまなの」

 新潟市出身の歌手、小林幸子(58)は1964年の新潟地震、04年の新潟県中越地震で故郷が被災した。その時の思いから、岩手県陸前高田市、大槌町、一関市、宮城県気仙沼市、福島県相馬市と被災地の避難所などへ何度も足を運んでいる。

 忘れられないシーンがある。4月7日に訪れた相馬市の避難所。お年寄りの女性にサインを頼まれた。しかし、物資不足の避難所には白い紙すらなかった。探し出してきたのは、配布された新品の下着。

 「“いいよパンツで。49年歌ってるけどパンツにサインしたの初めて”ってペンをとったら、周りの人がどっと笑ってね。大笑いしながら書いていて、ふと気づいたらみんな泣いているんです。こんなに笑ったの久しぶりって言いながら、自分が笑ってるのを見て泣いてるの」

 そのとき、自分の芸能人としての支援の形がはっきり見えたという。「私は芸能人だからここに来て、パンツにサインして、みんなに笑ってもらえた。たまたま私は歌を歌える歌手だけど、役者さんでも、ものまねの人でも同じ。なにか芸を持って生まれてきた人の宿命。なにかやると売名行為と言われるけれど、誰かが笑ってくれるならそれでいい」

 11月に訪れた陸前高田市では、小林の歌に合わせて一人の女性が踊りだした。「踊ってるお母さんも見てる人も波打って笑ってる。人は弱いだけじゃなく、たくましい。“前行くっきゃないよね”と開き直った明るさが太陽の明るさに思えた」と心の変化も感じたという。

 1年間被災地を訪れ、被災者の生活も心も少しずつ立ち直ってきたと感じている。支援する側としても新たな形を考えている。「被災地に行ってもそれぞれ仕事も始まって、皆さん集まれなかったりする。常に状況は変化していく。支援の仕方も変わっていくべきだと思う」。今年に入ってからは親友のエッセイスト吉永みち子さんと始めた食品販売による被災地支援「ざくろ坂プロジェクト」に力を注いでいる。

 東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪内の5坪のスペースに風評被害を受けた福島県の食品店などが期間限定で入居、商品を販売する。「この前は甘納豆。週末駆けつけて“甘納豆お願いしま~す”と声あげてたら、小林幸子がなにやってんだと人が集まってくれて。こういう時こそ、名前がある芸能人でいさせてもらったことに感謝。本名の林幸子が小林幸子に“あんた小林幸子で良かったね、結構役にたってんじゃん”って」

 中越地震の支援はいまも続けており「一番の支援は“忘れない”ということ」と力を込める。今月11日は九州でコンサート。「もちろんステージで話をするし、思い出してもらうことも一つの支援」と小林幸子の名を最大限使った支援をこれからも続けるつもりだ。

 ◆小林 幸子(こばやし・さちこ)本名林幸子。1953年(昭28)12月5日、新潟県生まれ。9歳でデビューし、子役として活躍。79年に「おもいで酒」が大ヒットし、同年NHK紅白歌合戦に初出場。その後も「とまり木」「雪椿」「もしかしてPART2」などがヒット。近年の紅白では豪華衣装が年末の風物詩となっている。

続きを表示

この記事のフォト

2012年3月5日のニュース