間寛平&村上ショージ 止まらぬ“さんま愛”

[ 2012年3月4日 07:00 ]

 MBSテレビのバラエティー番組「痛快!明石家電視台」(月曜後11・55)が5日放送分で1000回を迎える。1990年4月16日のスタート以来、明石家さんま(56)を中心に“さんまファミリー”がお茶の間を笑わせ続けて22年。レギュラーの間寛平(62)と村上ショージ(56)に話を聞くと、恩義を超えた“さんま愛”が伝わってきた。 

 生来のおしゃべりな2人だが、さんまの話題になるとますます止まらない。次から次に飛び出すエピソードは、まるで終わりのないジェットコースター。退屈する暇を与えない半面、収拾がつかない…。

 「韓国でさんまさんが行方不明になったことがあったなあ」。そう振り返るのはショージ。06年10月放送の韓国・済州島ロケでバギーに乗ったさんまが道に迷い、スタッフが探しても見つからない。「崖から落ちたんちゃうかと心配した」と懐かしそうに笑う。

 また、3人が車で毎日放送入りする際「ご苦労さま、工事ですか?」と現場作業員と間違えた警備員のことを番組で面白おかしく話すと、その警備員がクビになったこともあった。3人は責任を感じ、車の所有者だった寛平が別の車に買い替えたという。「さんまちゃんに怒られて」と申し訳なさそうに打ち明けた。

 おしゃべりの2人も底なしのさんまにはかなわない。台本はチラッと見るだけでほとんどアドリブ。オフタイムも黙ることはない。寛平は「早朝の新幹線で大阪に来て、ゴルフして、明石家電視台やって、帰りもずっとしゃべりっぱなし」と舌を巻く。ショージも「一睡もせんとすごい勢い」と半ばあきれ気味だ。

 2人がさんまを慕うのは理由がある。寛平はアメマバッジが大量に売れ残って借金を抱えたまま吉本新喜劇を飛び出し、東京進出したものの仕事が一向に増えないころに声をかけられた。

 「“レギュラーありまんの?”と聞かれたから、ラジオ一つだけと答えたら“大阪で新しい番組が始まるから入りいな”と入れてくれた」

 ショージも「僕も仕事がなくて、さんまさんが東京から帰ってくる日は新大阪駅で僕とジミー(大西)とMr.オクレさんとヒナ鳥みたいに待ってた。ご飯を食べに連れて行ってもらって翌朝に野球をして」と明かす。2人が「すごい優しい」と声をそろえるさんまの人柄はもちろん、救いの手を差しのべてくれた恩人だからこそ、足を向けては寝られないのだ。

 ただ、笑いにはとことん厳しい。寛平は「一番怖いのは“例えば?”と言われた時。何か返さなあかんけど、返してボロボロになる」と苦笑いした。先輩の寛平が思わず「ごめん、兄さん」と謝ったことも一度や二度ではない。

 それも含めて、さんまが好き――。突き詰めれば2人ともそこに行き着く。ショージは「たばこをやめてほしい。せめて定期検査を受けて」とさんまの健康面を気遣った。長寿番組になった最大の要因は、そんな“さんまファミリー”の温かさが画面越しに伝わるからだろう。2人のトーク同様、明石家電視台はまだまだ終わらない。

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2012年3月4日のニュース