歌舞伎女形の人間国宝 中村雀右衛門さんが死去

[ 2012年2月23日 19:29 ]

死去した中村雀右衛門さん

 みずみずしい芸風で、娘役などを得意とした歌舞伎女形で人間国宝、文化勲章受章者の中村雀右衛門(なかむら・じゃくえもん、本名青木清治=あおき・きよはる)さんが23日午後3時55分、肺炎のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。91歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。

 父は六代目大谷友右衛門。1927年、大谷広太郎を名乗り初舞台。名子役から立役の道を歩んだが、兵役から戻った戦後に女形に転向。48年、七代目大谷友右衛門、64年に四代目中村雀右衛門を襲名した。

 友右衛門時代、映画界入りし、稲垣浩監督「佐々木小次郎」などのヒット作で人気を得たが、数年で歌舞伎界に復帰。関西歌舞伎で市川寿海らの相手役として活躍した。

 歌舞伎界を代表する女形として、三姫(「金閣寺」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫、「本朝廿四孝」の八重垣姫)などでつややかな芸を見せ、「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子など多くの当たり役に恵まれた。

 自主公演「雀右衛門の会」を主宰、古典舞踊の復活や新作にも力を入れた。日本芸術院賞、芸術祭賞などを受け、91年に人間国宝、2004年に文化勲章を受章。日本俳優協会会長、伝統歌舞伎保存会会長などを歴任し、歌舞伎界の第一人者として技能向上、国際交流などに尽力した。

 最後の舞台は10年1月、歌舞伎座のさよなら公演。「春の寿」の女帝役で1日だけ出演した。

 長男は歌舞伎俳優の大谷友右衛門、次男は中村芝雀。

 ▼六代目中村勘九郎さんの話 女形をやるときはいつも目標にしていた方だったので、すごく残念だし、まだまだ一緒に舞台に立ちたかった。芸と魂は、残された私たちが受け継いで、後世に残していかなければと思う。(偉大な先輩が)どんどん向こうの世界に行ってしまうのが寂しい。

 ▼演劇研究家の河竹登志夫さんの話 日本俳優協会会長という要職も務め、故中村歌右衛門さんと並ぶ女形の最長老として歌舞伎界に重きをなした。戦争に行った後、映画界でも活躍したが、そのため本格的に歌舞伎に取り組むのが遅れ、その後あらためて女形の修業をされた。この1、2年はあまり舞台に出なかったが、晩年まで若さを保ち、おばあさんなどの老け役ではなく、お姫さまなどの若い役を務めていた。努力の人でした。

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2012年2月23日のニュース