ヒロイン名が芸名になった早乙女愛さん 豊満な肉体披露で評判に

[ 2010年7月27日 08:12 ]

死去した早乙女愛さん

 26日に米国で亡くなっていたことが分かった元女優の早乙女愛さん。早乙女さんは高校生時代の1974年、西城秀樹(55)が主演した松竹映画「愛と誠」(監督山根成之)の相手ヒロイン役の一般公募に応募。4万人近い難関を突破して、不良の誠に純愛をささげる学園理事長の娘・早乙女愛役をゲット。そのまま芸名にしてデビューした。

 「続・愛と誠」(75年)、「愛と誠・完結編」(76年)にも続けて出演し、スター街道を駆け上がった。
 その後も野村芳太郎監督の「迷走地図」(83年)や山城新伍監督の「女猫」(同年)、五社英雄監督の「北の蛍」(84年)、テレビ朝日のドラマ「新ハングマン」などで存在感を発揮した。
 とりわけ医大内の陰謀に立ち向かう女医を演じた日活ロマンポルノ「女猫」では日本人離れした豊満な肉体を惜しげもなく披露。野村誠一氏撮影のヌード写真集も評判を呼んだ。
 女優業の一方で、86年に青年実業家と結婚。97年5月に長男を出産した。12年目にして恵まれた子宝に「オッパイをあげたとき、涙がポロポロ出てきました」とママになった喜びを口にしていた。子育てに専念するため、00年公開の「新・仁義なき戦い」を最後に芸能界を引退。夫の仕事の関係で02年からシアトルで生活していた。関係者によれば、夫とは2年前に離婚したが、そのままシアトルにとどまり、愛息と暮らしていた。葬儀は23日に近親者により現地で営まれ、すべて済ませた後の発表となった。

続きを表示

2010年7月27日のニュース