ホンダ、21年限りでF1撤退…「第4期」7シーズンで幕「再参戦は考えていない」

[ 2020年10月3日 05:30 ]

F1スペインGPで走行するレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン(AP)
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 自動車レースの最高峰、F1シリーズにパワーユニット(PU)供給で参戦しているホンダは2日、2021年シーズンを最後に撤退すると発表した。八郷隆弘社長はオンラインで記者会見し、環境技術への取り組みを理由に挙げ「大きくかじを切り、新たなPUとエネルギーの研究開発に経営資源を集中する」と説明した。

 ホンダは新型コロナウイルス感染拡大による世界的な需要減で、四輪車などの販売台数が減少。20年4~6月期連結決算で純損益が大幅赤字に転落し、厳しい経営環境が続いている。八郷社長はコロナが撤退の理由ではないと否定したが、巨額のF1開発費が負担になっていたのは事実だ。30年に四輪車の世界販売台数の3分の2をハイブリッド車や電気自動車(EV)などの電動車にする計画を進めており今後は経営資源をエンジンからEVなどの研究開発に振り向ける考えだ。

 1964年にF1初参戦したホンダは通算77勝を挙げている。リーマン・ショックによる業績悪化のため08年限りで第3期の活動を終了し、15年にマクラーレンへのPU供給で7季ぶりに復帰。現在はレッドブル、アルファタウリの2チームとコンビを組む。19年6月のオーストリアGPではレッドブルのマックス・フェルスタッペン(オランダ)がホンダ勢として13年ぶりの優勝を果たすなど復帰後は5勝を挙げ、八郷社長は「技術面の進化、人材面では若い技術者が育った」と評価。一方で「再参戦は考えていない」とした。

 《レッドブルなど撤退に理解》ホンダがPUを供給するレッドブル、アルファタウリの両チームが2日、声明を出してホンダの撤退に理解を示した。レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表は「関係を継続できないことは残念だが、共に成し遂げた成功を誇りに思う。ホンダの努力と献身に感謝する」とコメント。アルファタウリのフランツ・トスト代表は「決断の背景にある理由を尊重する。実りある協力関係を築いてくれた」と感謝した。

 【F1ホンダの歴史】
 ☆第1期 フルワークス体制で64年にF1参戦。65年メキシコGPでギンサー(米国)が初勝利。67年には製造者部門で4位に入ったが、低公害エンジン開発を理由に68年で活動休止。

 ☆第2期 エンジン供給の形で83年に復帰。ウィリアムズ・ホンダが86~87年、マクラーレン・ホンダが88~91年にそれぞれ製造者部門優勝と黄金期を築いた。ウィリアムズではマンセル(英国)やピケ(ブラジル)が計23勝、マクラーレンではセナ(同)やプロスト(フランス)が計44勝。87年にはロータス・ホンダで中嶋悟が日本人初のF1ドライバーに。販売不振のため92年を最後に撤退した。

 ☆第3期 00年からBARなどへエンジンを供給し、BARのF1撤退を機に06年から再びワークスチームとして参戦。バトン(英国)が1勝を挙げ、佐藤琢磨らがドライバーを務めたスーパーアグリへもエンジンを供給した。金融危機による業績悪化のため08年で撤退。

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