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力道山 英雄の祈り、戦争の爪痕残る沖縄 ひめゆりの塔に花束

[ 2020年5月2日 05:30 ]

1962年11月4日に沖縄に訪れた力道山
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。日米を股に掛けて活躍した力道山は返還前の沖縄にも計4度足を運び、プロレス興行を開催しています。1962年(昭37)の3度目の遠征には、スポニチ取材陣もパスポート持参で同行。沖縄入り2日目の11月4日、ひめゆりの塔を訪れて祈りをささげた貴重なシーンを撮影しました。

 

力道山の沖縄訪問は
1957年10月以来、5年ぶりだった。
スポニチは記者2人と
カメラマン1人が「特派員」として
レスラーたちと一緒に
羽田空港発の
チャーター便で那覇入り。
初日の11月3日は奥武山球場で
昼にプロ野球オープン戦の
大洋―広島
夜はプロレス興行が行われ
3人態勢で取材にあたった。

沖縄は力道山がプロレス転向前に
ハワイで特訓を受け
その後レフェリーとしても
活躍した恩人の
沖識名の故郷でもあった。
空港での歓迎のあと
一行は国際通りを
十数台のオープンカーでパレード。
午後6時から球場内特設リングで
普段以上に迫力ある
ファイトを披露した。
約1万人の観衆を熱狂させ
プロレスをよく知る
米軍関係者もうならせた。

翌日、力道山は興行へ出向く前に
沖縄戦の爪痕がまだ残る
本島南部を回って歩いた。
ひめゆりの塔では花束をたむけ
犠牲となった人々に
思いをはせて祈りをささげた。
沖縄興行の恒例行事だったが
リング上では勇ましく戦う
日本のヒーローが見せた
敬虔(けいけん)な姿に
大勢の地元ファンは胸を打たれた。
当時はフィルム撮影の時代。
写真説明には
「那覇→東京間空輸」
と記されている。 

 ≪板門店での叫び≫米国人レスラーを空手チョップで退治し、日本のヒーローとなった力道山。今でこそ日本統治下の朝鮮半島・咸鏡南道(現北朝鮮)出身で知られるが、当時は長崎県出身の日本人で通していた。自身を大相撲にスカウトした人物の養子となり、戸籍名は百田光浩。出自は決して、明かさなかった。そんな力道山を陣営に引き入れようと北朝鮮と韓国が暗躍。日本と国交正常化前の韓国は63年1月、力道山を極秘で招待した。力道山は現地の会見で「20年ぶりの母国で感無量だ」と語る一方、板門店では“家族”がいる北の方角へ向かって絶叫したという。

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