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力道山 鉄人ルー・テーズを破り「世界王座」奪取 58年夏 凱旋パレードにファン大喜び

[ 2020年4月30日 05:30 ]

インターナショナル・ヘビー級タイトルマッチで王者のルー・テーズを破り、帰国後にオープンカーでパレードするプロレスラーの力道山(撮影・スポニチ東京写真部)
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。戦後のプロレスブームに陰りが見えたころ、再び人気に火をつけたのも力道山でした。それまで名勝負を演じながら勝てなかった“鉄人”ルー・テーズ(米国)を米ロサンゼルスでついに破り、インターナショナル・ヘビー級王座を獲得。1958年(昭33)8月31日、羽田空港に帰国すると盛大な歓迎が待っていました。

白いレイをかけた力道山が姿を見せると
到着ロビーはバンザイの嵐に包まれた。
「日本初のプロレス世界王者」の帰国に
羽田空港にはファン数千人が集結。
2カ月近い米国遠征を終えた英雄も微笑で応えた。

当時、親密な関係だった
スポーツニッポン新聞社が
オープンカーを用意し
凱旋パレードも行われた。

世界最高峰のタイトル
NWAヘビー級王座に君臨する
テーズ撃破は悲願だった。
1953年
ハワイでの初対戦は完敗。
米アリゾナ州の自宅まで押しかけて実現させた
57年10月の日本での2度の
NWA王座挑戦で奪取はならなかったが
低迷していたプロレス人気は
世界王者との対決で再燃した。
翌年夏に
ロスのオリンピック・オーディトリアムで
行われた試合は3本目に
両者リング外へ落ち
戻ろうとした力道山を妨害した
テーズが反則負けで2―1。
ノンタイトル戦も含め
初めて白星をもぎ取った。

テーズは57年11月に
ディック・ハットンに敗れ
NWA王者ではなかった。
この試合に懸けられたのは
NWAが功績を称えて贈った
インターナショナル王座だった。
力道山が奪ったタイトルは
その後も日本にとどまり
ジャイアント馬場らに受け継がれた。 (敬称略)

 《「王巨人入り」とダブル1面》米ミシガン州出身のルー・テーズは16歳でデビューし、74歳まで現役生活を送った。力道山に敗れたときは42歳(力道山は33歳)だったが、57歳の73年に49歳のカール・ゴッチとタッグを組み、アントニオ猪木&坂口征二と対戦。75年には猪木のNWF王座に挑戦するなど後年は日本との関係も深く、技を伝授されたレスラーも多い。引退試合は90年12月の蝶野正洋とのエキシビションで、代名詞のバックドロップを決めた。02年4月に86歳で亡くなった。ちなみに「力道山帰国」を報じた58年9月1日付スポニチの1面は「王、巨人入り」とのダブルネタ。1部8円の時代だった。

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2020年4月30日のニュース