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【フジタ“Jr”ハヤト リングへ戻る覚悟(上)】復帰へ大きな決断「俺から戦いを取ったら何も残らない」

[ 2019年11月18日 10:00 ]

スポニチアネックスのインタビューに応じたフジタ“Jr”ハヤト
Photo By スポニチ

 現在、がん闘病中のプロレスラー・フジタ“Jr”ハヤト(33=みちのくプロレス)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。がんを公表してから約1年がたった現在の闘病生活や再びリングで戦いたい決意を熱く語った。2回にわたり連載する。

 ――2018年11月に脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫によるがんを公表しましたが、現在の体調はどんな感じですか?
 「公表してから1年たって、発表した時よりも身体的には悪さは増しているかな?(苦笑)でも表に出る時は、基本的に今までの自分と変わらない感じで接して、周りにはあんまり心配をかけないようにすることは気を使っています。だけど正直慣れてきたといえば慣れてきた感じです。『俺悪くなってるな~』と思うけど痛さなどにも慣れてきているし、悪くなっているのは正直なことだけど、全然大丈夫かなって感じですね」

 ――2017年4月の試合中に左膝外側側副靭(じん)帯完全断裂と左膝内側側副靭帯部分断裂がきっかけで長期欠場となってしまいましたが、その時はどれぐらいをめどにリングへ復帰しようと考えていましたか?
 「早くて半年、長くても1年ぐらいと思っていました。でも完全に試合中に靭帯が断裂したのがわかりました。『ダメだ。立てない』と思った時に蹴りの軸足にもなるし、自分の軸になる武器なので、それを取ったら何が残るの?という部分だったから本当に長くなるかもと不安になったけど、1年以内には復帰したいと思っていましたね」

 ――復帰に向けてリハビリをしている中で身体の異変に気づいたのはいつぐらいの時期だったんですか?
 「膝の靭帯をけがした時には腰も痛くて、神経までいったのかなと思いました。手術をしないと言っていたんですけど、どうしても手術をしないといけなくなったので最初に手術したのが腰でした。腰から神経を修復じゃないけど治してから膝の手術をしました。これがけがして半年間ぐらいの期間で2回の手術が行われたんですけど、膝の手術が終わって立てるようになって、歩けるようになった時にずっと腰が痛くて病院の先生に『腰が痛すぎてリハビリもできない』と伝えたら『短期間で大きな手術を2回やって、靭帯も触って、骨も削っているから痛いはず』と言われました」

 ――術後の時点から異変はあったんですね。
 「はい。でも明らかに自分の中では切った痛さや手術の痛さではない痛さが膝の手術をして1カ月もたたないぐらいで自分の中では感じていたので、ずっと先生には言い続けていました。でも先生に『感染症になる可能性もあるから傷口をすぐに触ることは出来ない』と言われました。だからそこは耐えるから薬を出してもらうようにお願いして、薬を飲んでいましたが効きませんでした。そしてやっと調べてもらったら腫瘍があった感じでした。だから結構早い段階では自分の中で気づいていたけど、それががんだとは思っていませんでした」

 ――けがして半年で異変に気づいてから、がんが発覚するまではどれくらいの期間があったんですか?
 「昨年の8月にがんであることを知ったので、調べてもらってからは2~3カ月後ぐらいにしっかり病名などについて知りました」

 ――病名を聞いた時は率直にどう思いましたか?
 「最初は『マジか』と思って、どうしていいかわからなかったです。信じられなかったし、『何で俺なんだろう?』とは思いました。ドラマや映画みたいに病室で泣いたり、先生に『大丈夫ですか』と聞いたりするのは想像がついていたけど、実際に宣告を受けた時は病室の中では『わかりました』ってなりました。でも自宅に帰る際に、まずは親に言いたいけど言えなかったりなどいろいろと考えていた中で『俺は復帰出来ないんだな』と思いました。だから引退しないといけないとずっと思っていました。変にファンの皆に期待をさせてずっと復帰をしない期間を作るよりはどこかで発表してちゃんと言わないといけないとは思っていました」

 ――がんが発覚してから治療とリハビリを繰り返す中で、今年の4月に悪性腫瘍を取り除く手術を決断されました。これは大きな決断だったと思うのですが、当時はどんな心境だったんですか?
 「本当にどうしても復帰してリングに立って試合がしたい気持ちから決断しました。手術しなかったらリングに上がることも出来ないし、体調が良い時に外へ出て歩くことも出来なかったからずっと入院になっていたと思います。だから復帰のために大きな決断をしました。正直、命に関しては自分の中では3番目から4番目ぐらいの順位なんですよ。命を1番に考えているなら神経ごと取っちゃう手術をすると思います」

 ――神経を取る手術はハヤト選手の中では考えられなかったんですね。
 「そうですね。試合をするために1番の決断でした。親、親戚、友達、会社の人間を含めてみんなは『命を第一に』って言うけど、リングにもう1度上がらないと気が済まないし、そこはとてつもなく頑固なんですよ(笑い)手術をして、神経に触れずにギリギリの所まで腫瘍を取り除いても腫瘍の大もとはまだいるのでまた大きくなるし、骨は削ってあるからまだ大丈夫だけど時間が無いことを感じて今は焦っている状態ですかね」

 ――普段はどんなリハビリなども含めてどんな日常を送っているんですか?
 「ほぼ病院です(笑い)『入院したら?』と思うぐらいほぼ病院にいますね。でも試合のためにリハビリしていますし、家と病院の行き来では気が休まらないからジムに行ける日は行ったり、自分のペースでゆっくりだけど蹴りの練習でキックボクシングジムやKRAZY BEE(総合格闘技ジム)に行ったりしています。もうブランクも長いですからね(苦笑)」

 ――ハヤト選手の師匠である山本KID徳郁さんも同じがんで他界されてしまいましたが、KIDさんの分も自分ががんに勝って再びリングに戻って戦いたいという気持ちはありますか?
 「多分、今もKIDさんは天国で格闘技をしていると思いますよ。でも時間がたつと薄れてくると思うから自分がリングに上がって、師匠の『K.I.D』という名前が入った自分の技をメディアや見に来てくれたお客さんが文字を見たり、言ったりしてくれることがKIDさんに恩返しになると思います。これはKIDさんのためというか自分のためにやらないといけない部分ではあるけど、もう自分のためにはやっていないです。今年でプロレスラーになって15年だから自分のためには、もう思いっきりやったと思うようにしてここからは周りの人たちに恩返ししたいですね」

 ――ハヤト選手にとって今のモチベーションになっているものは何ですか?
 「再びリングに戻ることですね。みちのくプロレスは、俺が生まれた場所だから生まれた場所で終わりたいとデビューした時から決めているからそれをしないと新崎人生社長にも悪いし、一緒にやってきたメンバーにも悪いし、あとはずっとみちのくプロレスで俺を応援してくれていた人たちにも悪いです。だからもう1回みちのくプロレスのリングに上がっている姿を見せたいだけだからそこがかなえば気が済むかもしれないですけどね」

 ――リングに再び戻って戦いたいと強く思える理由って何ですか?
 「リングで戦うのが好きだからです。俺から戦うことを取ったら何も残らないし、リングを離れるということは死んだのと同じです。あとは身内も含めて俺のことを待っている人がいるから生きるためにリングに上がりたいし、リングに戻らなきゃいけないです」

 ――もう覚悟は決まっているんですね。
 「命か現役かを迫られた時に、俺はとっくの昔から現役を選んでいます。それを決めた時から見ている人たちや相手あってのプロレスだから絶対に良くないけどリングで死んじゃうこともあるかもしれないと思っています。これは俺じゃなくても誰でもありえることですけどね。でもそんなことを気にしていたら格闘技なんかやってないですよ。だから病気が見つかる前と病気が見つかった後でも気持ちの部分は変わっていないし、けがは上等だし好きだから戦っているから覚悟はとっくに出来ていますね」

 ――欠場になって2年半たちますが、“プロレスラーのスイッチ”が入ってしまいそうな時はあったりするんですか?
 「人が多い所に行くとスイッチが入っちゃいます(笑い)でも常に入っています。格闘技やプロレスの試合を見るとスイッチが入っちゃうし、スイッチが入っている自分にも気付きますね。だからあんまり会場では試合を見たくないかな(苦笑)今はまだ純粋に見れないので、格闘技を見る側は向いていないみたいです。試合を見る度に毎回『俺は見る側じゃないな』って思います」

 ――再びリングに上がる時は今まで以上のフジタ“Jr”ハヤトの試合を見せたいですか?
 「そうですね。今引退表明するぐらい今までのファイトスタイルを全く変えるつもりもないです。デビューした時ぐらいのギラつきがこの充電期間で戻ったはずだから今まで以上の俺で帰れたらいいなと思いますね」(続く)

 【フジタ“Jr”ハヤト支援大会~ハヤトエール~】今月27日に東京・新宿FACEで「フジタ“Jr”ハヤト支援大会~ハヤトエール~」が開催される。同大会の収益は(経費を除いた)全額、がんと闘うフジタ“Jr”ハヤトの治療費に充てられる。当日の試合マッチメーク、当日会場で流れる音楽などをハヤトが決めて実現する。試合だけではなくレゲエアーティストのJ-REXXXのスペシャルライブも予定されている。

 ◆フジタ“Jr”ハヤト(ふじた“じゅにあ”はやと)1986年(昭61)9月20日生まれ、東京都出身の33歳。2004年12月、中嶋勝彦戦でプロレスラーデビュー。08年12月東北ジュニアヘビー級王座を初戴冠。その後、新日本プロレス、プロレスリングZERO1などにも参戦。17年4月に左膝外側側副靭帯完全断裂、左膝内側側副靭帯部分断裂で長期欠場。18年11月に脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫によるがんであることを公表した。

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