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村田 引退危機「次はなんて気持ちになれない」

[ 2018年10月22日 05:30 ]

WBA世界ミドル級タイトルマッチ   ●王者・村田諒太 判定0―3 同級3位ロブ・ブラント○ ( 2018年10月20日    米ラスベガス・パークシアター )

ブラント(右)の右ストレートを顔面に浴びる村田(撮影・田中哲也通信員)
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 日本人五輪金メダリスト初の世界王者・村田諒太(32)が、聖地ラスベガスに沈んだ。2度目の防衛戦で指名挑戦者ブラントに8〜10点の大差で0―3判定負け。スピードと手数で圧倒され、自慢の右が空転して昨年10月に獲得した日本人2人目のミドル級世界王座を手放した。去就については保留したが、ビッグマッチへの足がかりとなるはずだった試合に完敗し、現役続行に黄信号がともった。

 誰よりも村田自身が完敗を実感していた。傷だらけの顔で応じた試合後の取材で、報道陣からは大差がついた採点への疑問や、ブラントとの再戦を期待する質問が出た。だが、「そう(採点が)つけられてもおかしくない内容」「再戦を要求するような内容じゃなかった」と冷静に答え、「完全に負けた。実力不足」と言い切った。

 試合開始からハンドスピードを生かして積極的に手を出すブラントに、受け身に立たされた。ガードを固めて前進する“村田スタイル”でプレッシャーをかけたが、連打で止められ、伸びるパンチにガードの隙間を破られた。自慢の右ストレートや左ボディーは見切られ、逆に打ち終わりに痛打を浴びた。はっきり取ったと言えるラウンドは右連発で挑戦者を後退させた5回ぐらいで、打開策を見いだせないまま終了ゴング。「研究されたな、という印象。自分のボクシングの幅の狭さを感じた」。社会的関心を集めた再戦の末、昨年10月22日に獲得した世界のベルトを、ちょうど1年で失った。

 ボクシングを始めた中学時代から夢見ていたラスベガスでのメインイベンター。憧れの舞台は自身の価値を示す場所でもあった。WBAのミドル級にはスーパー王者のサウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)がいるため、村田は“第2王者”扱い。「本当の王者はカネロやゴロフキンだろと言われると反骨心を抱きますね」。伝統のミドル級で真の頂点を狙うと公言し、貪欲にレベルアップを求めた。V2戦をクリアすれば元3団体統一ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と対戦交渉を開始し、来春にラスベガスか東京ドームでビッグマッチに挑む青写真も描かれていた。

 しかし、ゴロフキンのトム・ロフラー・プロモーターも視察に訪れた中、KO防衛どころかエンダム(フランス)に判定負けした昨年5月のプロ初黒星より重い2敗目。「すぐには答えが出てこない」。明言こそ避けたが、さらなる夢への扉を閉ざされ、先が見えなくなった32歳に、引退の選択肢がちらつき始めた。

 ◆村田 諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日生まれ、奈良市出身の32歳。南京都高(現京都広学館高)―東洋大。11年世界選手権ミドル級銀、12年ロンドン五輪同級金メダルなどアマ138戦119勝(89KO・RSC)19敗。13年8月プロデビュー。17年5月に世界初挑戦でエンダム(フランス)に不可解な判定負けも、10月の再戦で7回TKO勝ちしてWBA同級王座獲得。日本人五輪メダリスト初の世界王者となった。身長1メートル82、リーチ1メートル83の右ボクサーファイター。家族は佳子夫人、長男・晴道くん、長女・佳織ちゃん。

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