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山本“KID”徳郁さん逝く がん闘病公表3週間…静かに旅立つ

[ 2018年9月19日 05:30 ]

2006年、宮田和幸を下しベルトを肩に笑顔を見せる山本“KID”徳郁さん
Photo By スポニチ

 総合格闘家の山本“KID”徳郁さん(本名岡部徳郁=おかべ・のりふみ、旧姓山本)が18日、死去した。41歳だった。自身が主宰するジム「KRAZY BEE」が公式ツイッターで発表した。山本さんは8月にがんで闘病中であることを公表していた。レスリング一家に生まれ、00年代に人気絶頂だった総合格闘技界で活躍した“神の子”が帰らぬ人となった。

 2年以上リングから離れていた山本さんががんを公表したのは8月26日。その際には「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」と力強い決意をつづっていた。あれからわずか3週間。あまりに早い人気格闘家の訃報だった。

 レスリング元日本代表で、ミュンヘン五輪に出場した郁栄氏(73)を父に持ち、姉・美憂(44)、妹・聖子さん(38)も元世界女王の格闘一家に育った。5歳から父にレスリングの英才教育を受け、山梨学院大時代には学生王者にもなった。00年シドニー五輪出場の道を断たれたことで、総合格闘家へ転身すると、才能が一気に開花した。

 身長は1メートル63、体重も60キロ台前半。学生時代に小柄だったことからついたニックネームは「KID」。「神の子」と称して04年からK―1に参戦すると、スピードとトリッキーな動きで自分より大きな相手を翻ろうするスタイルや秒殺劇、ビッグマウスが人気を呼び、瞬く間にスター選手となった。同年大みそかの魔裟斗戦はダウンを奪い合う激闘の末に敗れたが、紅白歌合戦の裏番組で瞬間最高31・6%の驚異的な視聴率をマーク。05年大みそかには須藤元気を倒して、HERO’sの初代ミドル級世界王者にも輝いた。

 06年には「五輪は昔からの夢」と08年北京五輪出場を目指してアマに復帰した。しかし、試合中に右肘を脱臼し、五輪出場はかなわなかった。その後、右膝など故障が相次いだが、米国のUFCなどに参戦。15年大みそかに6年ぶりに復帰した魔裟斗との再戦が話題を呼んだ。

 突然の悲報に衝撃が走った。盟友・魔裟斗は自身のSNSで「格闘技界を一緒に盛り上げてきた大事な仲間が逝ってしまった。15年に対戦した時には試合終了後に“また10年後に!”と言っていたのにとても残念です」と悲しみのコメントを寄せた。山梨学院大時代の恩師である日本レスリング協会の高田裕司専務理事は「総合で活躍して、山本一家の運命である五輪も目指せた。好きなことができて、幸せな人生だったと思う」としのんだ。

 山本さんはグアムで闘病生活を送っていたと言われる。死因や葬儀日程は明らかにされていない。総合格闘技界に大きなインパクトを残した神の子は静かに旅立った。

 ◆山本“KID”徳郁(やまもと・きっど・のりふみ)本名・岡部徳郁。1977年(昭52)3月15日生まれ、神奈川県川崎市出身。幼少からレスリングに没頭。山梨学院大時代の99年に全日本大学選手権フリー58キロ級で優勝など数々のタイトルを獲得。01年3月にプロ格闘家デビュー。07年にはレスリングに復帰して08年北京五輪出場を目指したが、肘の脱臼が完治せず断念。1メートル63。

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