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尾川大金星!米で36年ぶり世界新王者、雄叫び「人生最高の日」

[ 2017年12月11日 05:30 ]

IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦12回戦   ○同級4位・尾川堅一 判定 同級5位テビン・ファーマー● ( 2017年12月9日    米ネバダ州ラスベガス・マンダレイベイ・イベンツセンター )

IBFのベルトを腰に巻いてご機嫌の尾川
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 日本拳法出身の尾川堅一(29=帝拳)がラスベガスで成り上がった。右の強打を主体に攻め続け、2〜4点差の2―1判定勝ち。圧倒的不利の予想を覆し、世界初挑戦で新王者となった。海外で世界王者となった日本人は10人目(11例目)で、本場・米国での王座獲得は81年のWBAスーパーウエルター級・三原正(三迫)以来36年ぶり5人目の快挙となった。

 一瞬驚き、すぐに喜びを爆発させた。ジャッジの採点は2―1と割れ「ニューチャンピオン、ケンイチ・オガワ」のコールが響いた。試合終了直後にテビン・ファーマー(27=米国)が自信満々に上ったコーナーに駆け上がり、雄叫び。「判定を待つ時は緊張したけどうれしかった。人生最高の日になった。これで人生が変わる」と声を弾ませた。

 英ウィリアムヒル社の試合前オッズはファーマー勝利が1・05倍で尾川が9倍。試合どころか海外も初の尾川に厳しい評価だったが、常に前へ出て防御自慢の相手にプレッシャーをかけ、流れを渡さなかった。鋭い踏み込みから放つ日本拳法仕込みの右ストレートで7回に相手の体を浮き上がらせ、10回はぐらつかせた。5回に右まぶたから出血し、見えづらくなった左カウンターを浴びても積極的な戦い方は変えず、「メキシコ人らしいお客さんが声援を送ってくれた」と本場のファンも味方につけた。

 亡くなった父・雅一さんの教えで2歳から日本拳法を始め、大卒後にボクシングに転向。5年で日本王者となり5度防衛して世界戦線に名乗りを上げた。7月、ジムの先輩で元WBCスーパーフェザー級王者の三浦隆司が引退。ジムにあいさつに訪れた三浦と顔を合わせ「おまえなら世界王者になれる」と激励され、決意を固めた。スパーリングは自己最高の200ラウンド超え。元2階級制覇王者・粟生隆寛(帝拳)らを相手に技巧派サウスポー対策を積み、三浦が15年に王座から陥落したラスベガスの同じ会場で世界を獲った。

 試合後には元6階級制覇王者のオスカー・デラホーヤ・プロモーターから祝福とアドバイスも受けた。米国での王座奪取は日本人36年ぶり。名門・帝拳ジムに初めてIBFのベルトをもたらした。「これで尾川堅一以来と語り継がれる。自分の名前を刻むのが最大の目標だった。これからどんどん強い相手と戦って、もっと認知されるようになりたい」。三浦と内山高志(元WBA王者)が去ったスーパーフェザー級に、新たなリーダーが誕生した。

 ▼帝拳ジム本田明彦会長 攻めていたのは尾川。見栄えは悪いが、効いているパンチはこちらの方が多かった。あの程度の相手に負けているようではダメだ。

 ≪海外は10人目≫海外での世界王座獲得は尾川で10人目で、米国では西城正三、柴田国明(ハワイ)、上原康恒、三原正に次いで5人目。フェザー級1人、スーパーフェザー級3人、スーパーウエルター級1人と中・重量級が多い。ラスベガスでの獲得は初めて。帝拳ジムから誕生した世界王者は尾川で13人目。12人で並んでいた協栄ジムを抜き国内ジム単独トップ(ともに海外出身選手含む)。

 ◆尾川堅一(おがわ・けんいち)1988年(昭63)2月1日、愛知県豊橋市生まれの29歳。2歳の時に父・雅一さんが営む道場で日本拳法を始め小学生全国大会で優勝。桜丘高から明大に進学してインカレ団体戦3連覇、個人戦4位。明大卒業後にボクシングを始め、10年4月、プロデビュー。11年全日本スーパーフェザー級新人王でMVPに輝く。12年8月に5回TKO負けでプロ初黒星も、15年12月に内藤律樹を破り日本同級王座獲得(防衛5)。身長1メートル73、リーチ1メートル73の右ボクサーファイター。家族は梓夫人と3男。

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