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GKコーチのパンチで(結果的に)記者が血まみれになった件

[ 2016年12月28日 08:50 ]

5R、上田(右)にパンチを浴びせる粟田
Photo By スポニチ

 【中出健太郎の血まみれ生活】後楽園ホールの記者席は長机と長いすが2列の簡素な作りである。前列の机はリングに接し、記者の目線の高さにはエプロンが広がる。机は縦の幅が30センチもなく、パソコンを置くと画面は90度以上傾けて見ることができない狭さだ。

 そこへ、人が落ちてきた。

 12月23日に行われた全日本新人王決勝戦のスーパーフェザー級。最終5ラウンド、東日本新人王の粟田祐之(KG大和)が左を打ち込むと、西軍代表の上田隆司(奈良)が前のめりにダウンした。リング上を転がり、ロープの下を抜けて記者席に尻を落とす形で転落。真っ正面で受け止めた記者は、上田がいすまで落ちないように腕で体を支える体勢となった。今年は小原佳太(三迫)とバーナード・ホプキンス(米国)がリング外へ転落するのを映像で見たが、1年の最後に実体験するとは思わなかった。

 ルールでは有効打でリング外へ落ちた場合、20秒以内に戻れなければKO負け。上田はすぐに立ち上がろうとしたが、左足は机の上、右足はいすの上にあったため、段差があってうまく足を踏ん張れない。エプロンに両手をかけて上体を起こすと、グローブでつかんだロープをくぐりリングへ戻っていった。机、取材ノート、手やズボンに広がる血の染みが、転落の跡を物語った。

 上田は終了ゴングまで戦い抜き、採点にもつれ込んだ試合はジャッジ1者がドロー、2者が1点差で粟田を支持する2−0判定。1ラウンドにカウンターの右フックを受けて倒れていた粟田にとっては、最終回のダウン奪取が文字通り勝因となった。倒した直後はコーナーポストに駆け上がらんばかりの喜び方で「ホプキンスのように立ってこられないと思っていたので恥ずかしかった」と苦笑しながら振り返ったが、「応援のおかげで力以上のものが出せた」と感謝した。観客席には子供たちを中心に150人の応援団。粟田が週末にGKコーチを務める横浜市の少年サッカーチーム「希望ケ丘ライオンズ」のメンバーだった。

 25歳の粟田は神奈川・麻布大渕野辺(現・麻布大付)高時代、サッカー部でGKとしてプレーしていた。太田宏介(フィテッセ)と小林悠(川崎F)の3学年後輩にあたり、高3時にはインターハイにも出場した。しかし、大舞台では同級生に守護神の座を奪われ、「限界を感じた。技術スキルはあったけど身体的能力が低かった」と大学ではサッカーを続けなかった。その代わりに「格好良く見えて」始めたのがボクシング。新人王は1年目が初戦敗退、2年目が腰痛による棄権で、1年のブランクを経て臨んだ今年、フィジカル面の強化が実を結び「三度目の正直」を果たした。

 入場時に着用した黄と青のTシャツは「希望ケ丘ライオンズ」のチームカラー。前評判は無敗の上田が有利だったが、ボクシングの傍ら指導している教え子たちには「見ていろ」と勝利を約束していた。「やっとスタートラインに立てた。目標に向かって1つ1つ努力できる位置と思って、周りの評価を変えていきたい。欲がないとプロボクサーはやっていけないから」。試合から約2時間後。上田の血が乾いた取材ノートに「敢闘賞・粟田」の文字が記された。(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)1967年2月、千葉県生まれ。中・高は軟式テニス部。早大卒、90年入社。ラグビーはトータルで10年、他にサッカー、ボクシング、陸上、スキー、外電などを担当。16年に16年ぶりにボクシング担当に復帰。リングサイド最前列の記者席でボクサーの血しぶきを浴びる日々。

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2016年12月28日のニュース