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伝説の英雄が育てるのは自身の後継者だけではない件

[ 2016年11月16日 08:30 ]

旭日小綬章が決まり笑顔のファイティング原田氏

 【中出健太郎の血まみれ生活】時代が移れば価値観は変わる。研究や技術の進歩で、以前は不可能だったことも今では常識の範囲内となった。そんな変化を否定はしないし、現状を尊重もしている。それでも、かつて日本国民をテレビの前に釘付けにさせたヒーローは言う。

 「今の人たちは何だかんだ言って食える。僕らの頃は本当に食えなかったから、ボクシングで頑張るしかなかった。今の選手もきつい練習はやってるけど、僕らは本当に苦しくて、それに耐えたから試合も頑張れたんだ」

 フライ級とバンタム級で日本初の世界2階級制覇を達成したファイティング原田こと原田政彦・日本プロボクシング協会終身名誉会長(73)が秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。「僕にはボクシングしかなかった。ボクシングのためにやってきたことが認められてうれしい」。顔いっぱいに笑みを浮かべて感謝の言葉を述べたが、酒や女性に手を出さず「ハングリー」「ストイック」が代名詞だった現役時代の話になると、いつものように口調が熱を帯びた。

 減量中に水分を口にしないようにジムの水道の蛇口が全て針金で固定され、ついには便所の水を飲もうとした有名なエピソード。遊びに誘われても寝泊まりしているジムからの外出を断り(当時も遊びに出る選手は少なくなかった)、友人から「原田も偉くなったな」と皮肉を言われた話。敵地で世界フェザー級王者ジョニー・ファメション(オーストラリア)を3度ダウンさせながら疑惑の判定負けとなった「幻の3階級制覇」は当然、世界フライ級王座の初防衛戦で前王者ポーン・キングピッチ(タイ)にアウェーで判定負けした試合も「負けてない」と言い切った。2005年に脳内出血で約1カ月間入院したが、退院からわずか10日でコンペに参加した逸話を持つほどのゴルフ好き。それでも、最近はクラブを握る指が開き気味で思うような球が打てず「負けるのはしゃくだから」と、あまりラウンドしないのだとか。

 夢を聞かれると「僕はできなかったから、3階級制覇ができるチャンピオンを育てたい」と話した。自身が経営する「ファイティング原田ジム」からまだ世界王者は出ていないが、ボクシングを辞めてから警察官や消防士になった元選手がいるそうで、世の中の役に立つ人物を輩出したことがひそかな誇りだ。今回の叙勲も現役時代の業績だけでなく、刑務所や少年院への積極的な慰問活動などの社会貢献を称えられたものだという。今も一日ジムで若い選手の相手をしており、元気な理由を問われると「選手と一緒に動いているのがいいんじゃないかな。いい汗をかいてるよ。汗をかかなきゃ、人間ってのは」

 原田氏はボクシングジムのことを「道場」と呼ぶ。昔からの癖が抜けないのだと照れたが、技術を教えるだけではなく、いつの時代にも必要な、社会に貢献する人間を育てる場と考えるのなら、これほどふさわしい呼び名はない。(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)1967年2月、千葉県生まれ。中・高は軟式テニス部。早大卒、90年入社。ラグビーはトータルで10年、他にサッカー、ボクシング、陸上、スキー、外電などを担当。16年に16年ぶりにボクシング担当に復帰。リングサイド最前列の記者席でボクサーの血しぶきを浴びる日々。

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