河野 序盤劣勢響いた…0―3判定負けで王座陥落

[ 2016年9月1日 05:30 ]

<WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ>5R、コンセプシオン(右)のパンチに顔をゆがめる河野

WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦 ●王者・河野公平 判定0―3 同級1位ルイス・コンセプシオン○

(8月31日 大田区総合体育館)
 ラッキーカラーの緑色のグローブで、ガッツポーズをつくることはできなかった。壮絶な打ち合いの末に12回を闘い抜いたが、河野公平(35=ワタナベ)は「判定だったら負けると思った」と覚悟していた。7回に出血した左目上をタオルで覆い、深々と頭を下げながら引き揚げた。

 鋭いボディーなど、後半は相手よりクリーンヒットの数は多かった。11回には右フック、右ストレートでぐらつかせた。それでも倒せなかった。「ノーガードで出てくるところでカウンター。結構、効いたと思ったが、タフだった」。KO率67%を誇る相手の強打を最も警戒していたが、自身より11センチも小さな暫定王者は想像以上に打たれ強かった。序盤は足を使ってかわしながら攻める作戦だったが、積極的な相手に手数を出されてポイントを奪われた。6回までの採点は6点差が1人、4点差が2人。これが致命傷になった。

 愛妻への恩返しもできなかった。昨年3月にシンガー・ソングライター、みなみらんぼうの長女・芽衣さんと結婚。今年7月に挙式した。ヨガインストラクターの芽衣夫人とともに、朝晩はヨガで体調管理。減量中は手製のおにぎりを食べて体重をコントロールした。だが、リングサイドで声援を送った夫人に雄姿は見せられなかった。

 9度目の世界戦で4敗目。敗れても敗れてもはい上がってきたが、この日は「出し尽くしたという感じ。後悔はない」と振り返った。11月には36歳を迎える。今後について、渡辺会長は「本人に任せる」と話したが、河野は「ちょっと休んでから、ゆっくり考える」と即答は避けた。勇敢に戦い続けた男が、ボクサー人生の転機を迎えた。

 ◆河野 公平(こうの・こうへい)1980年(昭55)11月23日、東京都目黒区生まれの35歳。東亜学園高では陸上部。00年11月にプロデビューも4回判定負け。07年2月に日本スーパーフライ級王者、同年10月に東洋太平洋同級王者。12年12月、3度目の世界挑戦でテーパリット(タイ)に4回KO勝ちしてWBA世界同級王座を獲得。初防衛戦で陥落後、14年3月にデンカオセーン(タイ)を8回KOして王座奪回。15年10月の2度目の防衛戦で対戦相手の亀田興毅(亀田)を引退に追い込んだ。身長1メートル66・5、リーチ1メートル71の右ファイター。

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