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昭和の香りがするジムから元不良が世界挑戦した件

[ 2016年9月1日 08:30 ]

KO負けしリングを降りる和気

 【中出健太郎の血まみれ生活】取材ノートに3ミリ大の血痕がある。付着しているのは7月20日、IBF世界スーパーバンタム級王座決定戦の試合経過を記したページだ。記者席がリングにピタリとくっついている後楽園ホールならノートや服、パソコンに血が飛んでくるのは日常の光景だが、ジャッジやカメラマンがリングサイドを占め、選手と記者席が離れている世界タイトルマッチでの“被弾”は珍しい。血痕は、顔面をボコボコにされたリーゼントボクサー、和気慎吾(古口)のものだ。

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 事前予想は「和気不利」が大勢を占めていた。相手は21勝21KO無敗1無効試合のジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)で、和気も打たれ強いタイプではない。それでも、ジムへ足を運ぶ記者たちからは「勝ってほしい」との声が多く聞かれた。鑑別所も体験した元不良少年の世界挑戦というストーリー、試合前でも気さくな和気の人柄に加え、資金や環境に恵まれない小さなジムからの挑戦という背景が応援したくなる要素だった。

 古口ジムの古口哲会長は協栄ジムのトレーナー時代、元WBA世界スーパーフライ級王者・鬼塚勝也を育てた。鬼塚を巡って故金平正紀前会長の怒りを買い、協栄を離れて東京都板橋区にジムを開いたのが96年。姉から5000万円を出資してもらい、とある会社の資材置き場だったビルの地下を改造した。公式サイズ(一辺5・5メートル以上7・3メートル以内)よりも小さいリングしか置けず、世界戦の発表で記者が押し寄せれば肩がぶつかるほどの狭さ。その中で古口会長自らミットを持ち、時に怒声を発しては和気らを指導してきた。会長はマッチメークに力を入れ、複数の優秀なトレーナーが選手を教え、テレビ局がきっちりサポートしている大手ジムでは見られない光景。「あしたのジョー」のような空間が、まだここにはある。

 練習生が150人いた時期もあったが、現在プロは7人だけ。ジムに貼られている名簿から推測すると月謝収入は約25万円に過ぎない。厳しい経営の中、古口会長も6年前に私生活でどん底を味わった。ある夜、帰宅すると妻と娘2人の姿はなく、別れを告げる手紙が置かれていた。慰謝料6500万円の調停離婚。独りになった寂しさを紛らわすように和気の指導に全てを注ぎ、実現したのがジム開設20年での初の世界挑戦だった。「家族とは何年も話していない。違う電話から娘にかけたら、すぐに切られて番号も変えられた。でも、和気が有名になって俺が元気だと分かってもらえれば」。こうつぶやかれたら、中立が基本の記者だって心が動く。

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 「会長、すいませんでした」和気、繰り返して号泣

 取材ノートはここで終わっている。やっとたどりついた世界戦のリングで君が代に涙したあと、あっけなく夢を砕かれた古口会長は、愛弟子をねぎらって病院へ送り出すと、記者に握手を求めてきた。「期待に応えられなくてすいません。また、頑張りますから」。和気はブログで元気良く再起を表明している。小さなジムの夢も、終わったワケではない。(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)1967年2月、千葉県生まれ。中・高は軟式テニス部。早大卒、90年入社。ラグビーはトータルで10年、他にサッカー、ボクシング、陸上、スキー、外電などを担当。16年に16年ぶりにボクシング担当に復帰。リングサイド最前列の記者席でボクサーの血しぶきを浴びる日々。

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2016年9月1日のニュース