「キンシャサの奇跡」目撃者が語る 「アリこそカリスマだった」

[ 2016年6月12日 10:00 ]

1974年10月、「キンシャサの奇跡」でジョージ・フォアマンにKO勝ちしたムハマド・アリ氏(右)=AP

 「キンシャサの奇跡」は記者が7歳のときだった。テレビ中継を見ていたかどうかは覚えていない。それでも「アフリカのド真ん中で凄いことが起きた」のは理解していた。小学生の頃、ボクシングのチャンピオンと言えば具志堅用高と、モハメド・アリ(共同通信の表記がムハマド・アリでスポニチ本紙も従っているが、やはりこっちの方がしっくり来る)だった。

 モハメド・アリ死去を受け、多くの人がコメントしたり、コラムを書いている。だけど、実際に試合を見て、会話した人の話にはやはり説得力がある。アリ関連の取材にあたり、記者が真っ先に電話をかけたのが、ワールド・ボクシング誌(現ボクシング・ビート)の元編集長、前田衷氏だった。74年10月30日、ザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで奇跡を目撃した数少ない日本人と聞いていたからだ。

 本紙でも紹介したが、前田氏によると現地へ赴いた日本人は4人。2人が試合を衛星中継したNETテレビ(現テレビ朝日)のアナウンサーとディレクター、1人がスポニチ記者でテレビ中継の解説者だった故後藤秀夫氏、残る1人が当時ボクシング・マガジン誌編集長の前田氏だった。その頃、海外でのビッグマッチと言えばスポーツライターで作家の故佐瀬稔氏が取材へ行くのが常だったが、フォアマンが練習中に右目周辺を切ったため当初は9月25日に予定されていた試合が延期。佐瀬氏の都合がつかなくなり、前田氏が“代打”で急きょ取材にあたることになったのだという。

 前田氏はアリが初めてヘビー級世界王者となる前の62年、元王者アーチー・ムーアを予告KOした頃から“アリ・ウォッチャー”だった。「誰もがアリが負けると思っていたし、私は初めてKO負けするんじゃないかと。これを見届けないわけにはいかないと思った」。ザイールへは地球一周チケットを使い、南回りのローマ経由でたどりついた。米国東部時間のプライムタイムに合わせて試合は午前4時開始。試合開始まで睡魔と戦うはめになったが、試合会場となったナショナルスタジアムはアリの応援一色だったという。徴兵拒否や黒人差別撤廃運動で米国政府と米国社会に立ち向かい、勝った英雄への民衆の熱狂は凄まじく、打倒フォアマンのムードをつくり上げていた。

 8回終了間際に「象をも倒す」と呼ばれた強打の無敗王者がキャンバスに沈み、両者が控え室に引き揚げた直後。会場をスコールが襲った。「滝のようだった。よく試合中に降って中止にならなかったなと思った。勝利も含めて、神がかり的なものを感じた」。そして一夜明け会見。米国人記者らの間に前田氏がいるのを見つけたアリは、アフリカまで取材に訪れた東洋人を珍しく思ったのか、わざわざ自分から近づいてきた。「どこから来たんだ?」と問われ、前田氏は「あなたが勝ってうれしい」と答えてしまったという。

 「ジャーナリスト失格ですよね」。前田氏は笑ったが、67歳の今も国内外の至るところへ足を運び、熱心に取材を続ける我々の大先輩は、当時を思い出すと言葉が止まらなかった。「今はカリスマという言葉を簡単に使うけど、アリこそカリスマだった。一連の言動も興行を盛り上げるためでプロモーターの役目も果たしていた。チャーミングなところもあって、キャラクターが魅力的だったね」。ちなみに前田氏はマイク・タイソン―ジェームス“バスター”ダグラス(90年)、イベンダー・ホリフィールド―タイソン第1戦(96年)も現地で取材しており、「キンシャサの奇跡」を含めて「ヘビー級の3大ビッグアップセット」と呼んでいる。(中出 健太郎)

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