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興毅 4階級制覇ならず引退「いい試合した、何の悔いもない」

[ 2015年10月18日 05:30 ]

河野公平(右)の右ストレート浴びる亀田興毅

WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦 ●挑戦者・亀田興毅<判定0―3>○王者・河野公平

(10月16日 米シカゴUICパビリオン)
 挑戦者の亀田興毅は王者の河野公平に大差の判定で敗れ、現役引退を表明した。日本ボクシングコミッション(JBC)から事実上の国外追放処分となり、日本人同士では異例の米国開催でこぎつけた世界戦だったが、日本人初の世界4階級制覇はならなかった。ボクシング界に一時代を築いた亀田3兄弟の長男はプロ35戦目で初めて日本人に敗れ、リングを去ることを決断した。

 良くも悪くも世間を騒がせてきた男としては意外なほどあっさりした現役生活の幕引きだった。右目上を切り、左目下を青く腫らした敗者は戻った控室で「この試合が終わったらやめようと思っていた。きれいさっぱりやめる」と胸の内を明かした。

 痛恨のローブローだった。2回、興毅は左脇腹を痛めていた河野のボディーを執拗(しつよう)に攻め、相手の体をくの字に折った。しかし、直後にローブローで注意を受け、回復の時間を与えてしまった。再開後、左の打ち終わりに、河野のカウンターの右ストレートを顎に食らってダウン。さらに3回にはローブローの反則で2度減点となった。

 序盤のつまずきを取り戻そうと、本来のアウトボクシングを捨て、接近戦で激しく打ち合った。しかし、大きなダメージを与えるパンチは打ち込めず、逆に手数とスタミナで勝る河野のペースに終始した。セコンドの父・史郎氏が「何のためにやってる!倒せ!」と叫ぶ声もむなしく、最後まで見せ場はなし。最大8点差がつく0―3の完敗だった。

 兄弟や家族には、この一戦が最後になることを伝えていた。13年12月の世界戦混乱問題では多くのボクシングファンを敵に回し、支援してくれていたテレビ局も離れた。JBCからは亀田ジムの会長らの“資格剥奪処分”を受け、亀田家は国内で試合ができない苦境に追い込まれた。それでも1階級下げて4階級制覇するという最後の目標のために、試合のできないつらい日々を耐えた。2年近く待ってこぎつけたのが、異例の米国での日本人同士による世界戦。しかし、ブランクや年齢的な衰えの影響は否めなかった。

 最終目標には到達しなかったが「結果が全て。河野選手は頑張っていいファイトをしたし、俺もいい試合をした。何の悔いもない」と潔く語った。今後については「ボクシングは俺の人生の一つで全てではない。ほかにもいろいろとやりたいことがある」と語ったものの、既に「K3」という自身のフィットネスジムを持っており、今後はジム会長やプロモーター業などでボクシングに関わっていくことが濃厚だ。希代のヒールは異国で静かにグローブを置いた。

 ◆亀田 興毅(かめだ・こうき)1986年(昭61)11月17日、大阪市西成区生まれの28歳。父・史郎氏の指導で11歳でボクシングを始める。中学卒業後は進学せず、社会人のアマチュアとして活動し、17歳でグリーンツダジムでプロデビュー。その後、協栄ジムに移籍し、亀田ジムを設立。日本初の世界3階級制覇王者。プロ通算33勝18KO2敗。1メートル66。左ボクサーファイター。家族は夫人と2男。

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