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山中 「神の左」ボディーでV6!歴代2位の5連続KO

[ 2014年4月24日 05:30 ]

9R、強烈な左ボディーでジャモエをマットに沈めガッツポーズをする山中

WBC世界バンタム級タイトルマッチ12回戦 ○山中慎介 TKO9回11秒 シュテファーヌ・ジャモエ●

(4月23日 大阪城ホール)
 ダブル世界戦が行われ、WBC世界バンタム級王者の山中慎介(31=帝拳)は挑戦者シュテファーヌ・ジャモエ(24=ベルギー)から4度ダウンを奪って、9回TKO勝ちし、6度目の防衛に成功した。5連続KO防衛は日本人世界王者歴代2位タイ。滋賀県出身の山中は初めての関西での世界戦で王者の実力を見せつけた。

 「神の左」が腹に突き刺さった。9回、山中がワンツーで左ストレートをボディーに打ち込むと、1万3000人の大観衆からどよめきが起きた。ジャモエはもん絶し、腰を折ってダウン。レフェリーは止めるしかなかった。5連続KOながら、ボディーへの一撃で試合を決めたのは初めて。攻撃の幅の広さを示した山中は「これだけ左を警戒されても、当てられるのは強い左なんでしょうね」と胸を張った。

 完璧な内容だった。2回、左ストレートを相手のガードを間から顎に突き刺し、最初のダウンを奪った。相手はおびえるようにコーナーに後退し、前に出ると子供のように両腕を振り回した。6回には相手の顔を押したとして減点1を取られたが、8回には左ボディーと左ストレートで2度ダウンを奪った。隙を全く与えなかった。

 憧れの辰吉丈一郎のような戦いだった。97年11月、世界戦3連敗中の辰吉は16戦無敗のWBC世界バンタム級王者シリモンコン(タイ)をTKOで破り、王座に返り咲いた。勝負を決めたのはボディーブローだった。当時中学3年生で野球少年だった山中はこの一戦をテレビで見てボクシングに魅せられた。「(ビデオを)何回見たか分からない」。卒業文集には「日本中で知らない人がいないくらい有名なWBC世界チャンピオンになりたい」と書いた。毎朝5時前に起きて、滋賀県湖南市の自宅から強豪・南京都高(現京都広学館高)に片道2時間半かけて通った。そんな山中のボクシングの原点となった大阪城ホールで、あの時の辰吉以来の日本人世界王者のKO勝利。試合後は控室で辰吉に声を掛けられ「褒められたんで、うれしい」と笑顔を見せた。

 今後の対戦相手選びは難航しそうだ。標的にしていた1階級上のWBC王者サンタクルス(メキシコ)には、強いが故に断られた。海外進出には強さだけでなく、人気が必要だ。「もっと早い回でまとめないと、見る人の心はつかめない」。これだけ派手なKO劇を演じても、山中は反省を忘れない。 

 ▽山中―ジャモエVTR 山中が終始圧倒した。1回から得意の左を積極的に繰り出し、上下に打ち分けてダメージを与えた。2回に左ストレートを顔面に当ててダウンを奪い、8回にも左で2度、ダウンさせた。9回に左ボディーで倒したところでレフェリーが試合を止めた。

 ◆山中の防衛戦VTR

 ☆V1(12年4月6日) 元3団体統一世界スーパーフライ級王者のビック・ダルチニャン(オーストラリア)に3―0判定勝利。連続KOは9でストップしたが、11回にはロープに飛ばすなど見せ場をつくった。

 ☆V2(同11月3日) 元WBC世界スーパーフライ級王者のトマス・ロハス(メキシコ)を7回に5連打でKO。最後の左ストレートでロハスは失神し、前のめりに倒れる衝撃的なKOシーンだった。

 ☆V3(13年4月8日) 元WBC世界フライ級王者のマルコム・ツニャカオ(真正、フィリピン)に3回に左ストレートで2度のダウンを奪う。最終回に再び左ストレートでダウンを奪うと、レフェリーが試合を止めてTKO勝利。

 ☆V4(同8月12日) 同級8位のホセ・ニエベス(プエルトリコ)を左ストレート一発で倒し、初回わずか2分40秒でKO勝ちした。「早く終わり過ぎてすみません」。

 ☆V5(同11月10日) 前半は足を使う同級8位のアルベルト・ゲバラ(メキシコ)を捉えられなかったが、8回に2度のダウンを奪取。9回に左ストレートでKOした。

 ◆山中 慎介(やまなか・しんすけ)1982年(昭57)10月11日、滋賀・湖南市生まれの31歳。南京都高(現京都広学館)でボクシングを始め、3年時に粟生隆寛を破り国体優勝。専大では主将。アマ通算34勝(10KO・RSC)13敗。06年1月プロデビュー。10年6月に日本バンタム級王座を獲得。11年11月に王座決定戦に勝ってWBC世界バンタム級王者に。戦績は23戦21勝(16KO)2分け。身長1メートル71。左ボクサーファイター。

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