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京太郎 6回TKO戴冠に号泣 56年ぶり日本ヘビー級王者

[ 2013年7月26日 06:00 ]

日本王座を奪取した藤本京太郎は日の丸ヘアをアピールする

日本ヘビー級王座決定戦10回戦 ○同級1位・藤本京太郎 6回2分59秒TKO 同級2位オケロ・ピーター●

(7月25日 後楽園ホール)
 56年ぶりに復活した日本ヘビー級王座決定戦で、元K―1世界王者で同級1位の藤本京太郎(27)が同級2位のオケロ・ピーター(41)を6回TKOで下し、第2代王者となった。相手の疲れが見え始めた6回にダウンを2度奪って勝負を決め、K―1に続く2つ目のベルトを手に入れた。

 101・5キロの大男がリング上で号泣した。勝利者インタビュー。京太郎は「勝たなければいけない試合は今回が初めてだった。一番うれしいです」と声を絞り出した。日本のエースにのしかかる重圧はそれほど大きかった。

 9センチ、9キロ上回るウガンダ出身のオケロに対し、序盤はアウトボクシングに徹した。時折踏み込んで右ストレートを打ち込み、着実にポイントを稼いだ。パワフルな打ち合いを期待する観客からは「逃げるな」のヤジも飛んだが、足を使う自分のスタイルを貫いた。

 チャンスが来たのは6回。右の強打で相手をぐらつかせると、右のカウンターを顔面にヒットさせダウンを取った。さらにラッシュを仕掛けると、オケロは背中からマットに倒れた。レフェリーはここで試合をストップ。06年に世界10位でWBC王座に挑戦したこともあるベテランを粉砕し「僕のためにつくられたベルト。(判定でも)勝てばいいと思っていた。K―1と2つのベルトを獲った選手なんていないんじゃないですか」と胸を張った。

 給与未払いなどがあったK―1から11年にボクシングに転向。昨秋にはWBC15位で日本人初の世界ランカーにもなった。だが、大みそかに東洋太平洋王座決定戦に出場し、一方的に打ち込まれて屈辱の5回TKO負け。「やめてもいいんじゃねえか」。ジムにも行かず、1カ月半引きこもった。周囲の励ましで再起を果たした直後に日本ヘビー級のベルト復活が決定。米国武者修行などでレベルアップを図り、王座奪取につなげた。

 もちろん、ゴールは日本タイトルではない。「世界へ向けて首の皮一枚つながった。東洋をもう一回狙っていきたい」。半世紀以上の空白を経て誕生した2代目に課せられたのは、日本人の体格では難しいとされた最重量級の活性化だ。

 ◆藤本 京太郎(ふじもと・きょうたろう)1986年(昭61)6月23日、大阪府生まれの27歳。3歳で空手を始め、06年にK―1デビュー。09年にK―1で日本人初の重量級王者となる。11年10月に角海老宝石ジムに入門し、同年12月にボクシングデビュー。12年12月に東洋太平洋ヘビー級王座決定戦でソロモン・ハウ(オーストラリア)に5回TKO負け。通算成績は8戦7勝(5KO)1敗。1メートル83、101・5キロ。

 ▽ヘビー級 200ポンド(90・7キロ)以上で、全17階級で最も重い階級。海外ではマイク・タイソンらスーパースターを輩出。日本では57年5月に大相撲出身の片岡昇が中越豊に判定勝ちして初代王者となったが、選手不足のため、その1試合を最後に58年1月に日本ボクシングコミッション(JBC)が王座を預かった。09年にJBCはヘビー級ランキングも空位として設置。12年6月に藤本京太郎が1位になってランキングが復活。日本ランカーが4人まで増え王座復活も決まった。

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