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小橋の「青春」完全燃焼!185発、惜別の逆水平

[ 2013年5月12日 06:00 ]

<小橋建太引退記念試合>引退試合を終え、紙テープを投げ込まれた小橋は声援に応える

小橋建太引退記念試合

(5月11日 日本武道館)
 さらば青春の握り拳――。プロレスの枠を超えて愛された小橋建太(46)の引退試合が11日、東京・日本武道館で行われ、447日ぶりのリングとなったメーンの8人タッグでは40分近い激闘の末、月面水爆からの片エビ固めで金丸義信(36)を破り、有終の美を飾った。25年に及んだ現役生活では腎臓がんなど数々のケガや病気に苦しめられながら、懸命な努力で克服。鉄人は超満員1万7000人のファンに、最後の勇姿を見せつけた。
【小橋建太引退記念試合結果】

 超満員の会場が過去最大の“コバシコール”に包まれた。テーマ曲「GRAND SWORD」とともに現れた鉄人に、ファンは涙を浮かべながら絶叫した。小橋にとってもファンにとっても思い出が詰まった日本武道館。そこで迎える最後の試合で、「絶対王者」と呼ばれていたときのGHCヘビー級のベルトを巻いてリングに上がった。

 感情を前面に出す戦いぶりは全盛時と変わらなかった。自身の付き人だった現GHCヘビー級王者のKENTAや潮崎、金丸、谷口に得意のチョップを浴びせ続けた。その数、185発。「いつもと変わらない気持ちで戦えた。応援してくれる人たちが力になった」。ファンの声に満身創痍(そうい)の体が突き動かされ、最後は月面水爆を決めた。右手に力を込める「青春の握り拳」からトップロープに上がると、きれいな弧を描き金丸を仕留めた。「プロレス人生は自分の青春でした。46、47、48と青春は続きます。一つの青春は終わりましたが次の青春を頑張ります」。有終の美を飾ったリング上で、涙ながらにあいさつした。

 波瀾(はらん)万丈のプロレス人生だった。会社員からプロレスラーを目指したが、一度は書類審査で落ちた。それでも夢を捨てきれず、知人に全日本を紹介してもらい入門にこぎ着けた。エリートではないからこそ、ひたむきに練習に打ち込んだ。誰よりも汗を流し続けたことで台頭。トップレスラーの地位を確立しても、練習では連日、逆水平チョップを腕が腫れ上がるまでサンドバッグに打ち込んだ。どんな逆境でも諦めない姿。それがプロレスファン以外からの共感を呼んだ。

 06年6月29日に腎臓がんであることを告白。そのまま引退と思われたが不屈の精神で克服し、07年12月2日に復帰した。まさに鉄人。だが、その後は08年に両肘手術をして長期離脱するなど相次ぐケガに見舞われた。致命傷となったのは12年2月19日の震災復興試合「ALL TOGETHER」だった。月面水爆を繰り出した際に負傷し「左足脛骨(けいこつ)亀裂骨折、右膝じん帯損傷」。欠場中の検査で首の状態が思わしくないことが判明し、昨年12月に引退を発表した。

 「ホッとした気持ちはない。一つの試合が終わった感じ。寂しいというか自分が決めたことですから」。一時代を築いた男はリングから去るが、ファンの心に焼き付いている思いはいつまでも色あせない。

 ◆小橋建太(こばし・けんた)

 ▽生年月日 1967年(昭42)3月27日。京都府福知山市生まれ
 ▽デビュー戦 1988年2月26日、滋賀県栗東町民体育館。対大熊元司戦
 ▽主なタイトル 3冠ヘビー級王座(第16、19、25代)、GHCヘビー級王座(第6代、13度防衛)、アジアタッグ、世界最強タッグ、GHCタッグ
 ▽得意技 月面水爆、剛腕ラリアット、逆水平チョップ、マシンガンチョップ、バーニングハンマー
 ▽ニックネーム 「鉄人」「絶対王者」
 ▽家族 夫人は演歌歌手のみずき舞
 ▽サイズ 1メートル86、105キロ(全盛期は115キロ)
 ▽ケガ&病気 両膝、両肘の手術は8度。06年に腎臓がん
 ▽入場曲 「GRAND SWORD」「SNIPER」(若手時代)「BLAZIN」

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