山本浩二監督「我が道」特別版

第26回 痛恨逆転負け!初采配は継投失敗

[ 2013年2月24日 06:00 ]

監督時代、ベンチ内で厳しい表情を浮かべる筆者(中央)。左端は大下ヘッド

 現役を引退して2年間はNHKでお世話になった。解説者として12球団キャンプ巡り。古葉竹識監督時代のカープが一番いい練習をしていると思った。無駄がなく、そして厳しい。11年間で4度も優勝できたわけである。

 初めてネット裏から見る野球は新鮮だった。ボールに向かってチームが一つになっているか。次に起こることを想定して動いているか。公平な目で両軍をチェックする。ものすごく勉強になった。

 カープから監督就任要請をいただいたのは1988年(昭63)の秋口だった。引退1年前の85年オフ、古葉さんの勇退を受け「兼任監督」を打診されたときは辞退したが、今度は断る理由などない。そのつもりで準備してきた。

 就任が決まった直後、NHKの会合で藤田元司さんとご一緒する機会があった。藤田さんは81年から3年間巨人の監督を務め、リーグ優勝2度、日本一1度の経験がある。監督として何が必要か。私はアドバイスを求めた。

 「毎日ミーティングすることだよ。選手ともスタッフとも」

 藤田さんは少しして巨人の監督に復帰することになるのだが、そのときはそんな気配は全くなかった。

 監督業の先輩が教えてくれたコミュニケーションの重要性。私はヘッドコーチを大下剛史さんにお願いした。カープ初優勝の75年、日本ハムから移籍し、1番打者としてチームを引っ張ってくれた斬り込み隊長である。

 78年の現役引退後は4年間カープのコーチ、84年からは評論家を務めていた。野球観が一緒で、厳しさを持った人。妥協しない。その日が来たらヘッドはこの人と以前から決めていた。

 就任してすぐ宮崎・日南で行った秋季キャンプ。天福球場には現役時代見たことのない草野球用の照明灯がついた。若手もベテランもない。早出は9時、全体練習は10時から5時、6時まで。時間も量も前年の2倍はやった。達川光男が「胃から汗が出る」と漏らした猛練習である。

 練習は嘘(うそ)をつかない。翌89年の春季キャンプ。練習を秋の3分の2ほどにしたら、みんな「楽だ」という。秋より少なくても前年の春よりはるかに多い。それを楽と感じている。しめたと思った。

 それなりの手応えをつかんで迎えた開幕。初采配は4月8日の阪神戦(広島)だった。4―0とリードしながら、好投を続けてきた北別府学が8回に4連打を浴びて2点を返された。なおも無死一、二塁。私は長冨浩志をマウンドに送った。先発4番手。初登板まで間が空くからベンチに入れておいた右腕である。

 長冨がセシル・フィルダーに投じた2球目はピンポン球のようにはじけて左翼席上段まで飛んでいった。痛恨の逆転3ラン…。そのまま4―5で敗れ、その夜は一睡もできなかった。

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